隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアや哲学などについて書いてます

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賃金があがっても、先進国は豊かになれない

先進国ってのは、財布は豊かになってるのかもしれないけど

住む人々の心は、貧しく脆くなっているようだ。

しかし最近は、経済的な意味でも豊かになれないと思えてきた。

賃上げは、ほとんどインフレ補正程度にしかならない

僕の母親が、「昔は売店のアイスは10円くらいだった」と話していたのを聞いたことがある。

今やその辺のお店で買えるアイスといえば、観光地だと500円600円したりする。市販のものでも最低100円前後はする。

では10倍豊かになったのだろうか?もちろん、そんなことはない。

たしかに、衛生面やインフラ、便利なものもたくさん増えた。

衛生面もインフラも、大事な事だから否定はしないけど。

経済的に豊かになったというならば、日本人の働く量は10分の一に減っただろうか?いや半分、三分の一くらいは減ったか?

へってないよね。当たり前だけど。

賃金があがってもインフレに合わせて上がっているだけなんだから。

労働に頼るとずっと水準は変わらないんだろう。

そう思うと改めて資産を産む資産を買うってのは大事だと思うが、今回はその話したくないので割愛。

時間も減ってる

ネットができて便利になった。

効率もよくなった。

でも今度は、家でも働くようになった。

もしかすると、豊かになった反面、

可処分時間が減ってるかもね。

というかSNSに時間を費やし、私を見てくれと、どこの誰ともわからない相手に必死になってしまっているし、お金を目的にせずとも承認を求めて時間を浪費しているかも。

まぁ、これはブログ書いてる時点で自分もそうなのかもしらんが。(我に返った。スター機能外そう)

経済的自由ってなに?

経済的自由ってなんなんだろう。

お金がたくさんあることじゃなくて

時間が自由になるだけのお金があることなんじゃないだろうか?

無限のお金や物は必要ない。

自分の時間や選択が自由になるだけのお金があればいい。

その敷居を下げる事も経済的自由にとっては大事なことだから、節約、節制は馬鹿にできない。

先日、下のような動画あがっていた。

サイコロジーオブマネーの著者の動画だ。

要約すると「BMWはブランド価値であって見せびらかすために金を払う事になっている。TOYOTAでええやん。」みたいな話。

節約節制は「見栄からの脱却」がスタート地点になる。

そしてこれは死ぬまで続く葛藤だ。

僕は、釈迦が完全無欠超人のような悟りには至っていないだろう、と思っている。理由は、承認欲求はずっと残っていたように見えるからだ。

説法活動とかやってたらしいし。つまりは自分の哲学を知ってほしかったのではないかと。

それは、今で言えば、ブロガーやYoutuberがやってるような事と同じで

「その考えいいですね」と言ってほしかったのではないかと

だから、承認欲求を捨てるのはそれほどに難しいと思う。

いわば、名の残っていない人の方が欲を捨てているかもしれない

本当の悟りを得た人の名前は残らないのかもしれない。そんな事を思ったり。

必要な分だけ働き、必要なだけ生きる

僕は、必要な分だけ働いて必要な分だけ生きていきたい。

間違っても見栄のために働いて

無限を求めて自然に抗うような事はしたくない。

余談:最近読んでる本

石田夏穂さんは我が友スミスが面白かったので買ってみたけど、一本目はいまいちしっくりこなかった。

しかし、文章は相変わらずおもしろいので良しとする。ちょいちょい笑わせてくるのがすごく良い。こんなに読んでいて楽しいと思う小説家はなかなか見つからない。

お金より柔軟性:サンクコストバイアス

FIREにしろセミリタイアにしろ

フレキシブルに生きるメンタルが大切だと思ってる。

不安の根源は「変わってしまう事への恐怖」だと思うんだよなぁ。

お金の不安ってのは「お金が足りなくなる」ということによって発生する、「生活がダウンサイジングする恐怖」だと思うから

対応できるか自信がないから変わってしまう事への恐怖。

未来は予測不可能で、予測不能な事をいくら考えても仕方がない。

でも確実に変化は訪れる。

仏教なんかでは諸行無常を説いてるし、それを受け入れよと説かれているけど

これはなかなか難しい。

サンクコストバイアス

サイコロジーオブマネーにファストアンドスローのダニエル・カーネマンのエピソードがのっていた。

ダニエル・カーネマンが原稿の内容が全く変わってしまったようなリライトを送ってくる事に対して共著者が「なんでそんな簡単に書き直してしまえるんだ?」と聞いたら、

「現段階では私にとってサンクコストが存在していないから」と答えたそうな。

人間は過去に縛られる。

僕もそうだけど、仕事で培ってきたものや、生活のスタイルなど

生き方を変える恐怖や、もったいないと思うことに対して縛られて生きている。

そこで最近見つけたサンクコストバイアスに縛られずに行動している人を二人。

放射線技師からゲームクリエイターへ

www.youtube.com

先日UEを画作りに使おうと勉強していた時に知った人。

放射線技師という専門性の高い分野を捨ててゲームクリエイターに転身したそうな。

ぶっちゃけ、僕が今からゲームクリエイターを目指せと言われたら心が折れる。

業界としては関連性の近い、また技術的にも融通が効く面があるのにもかかわらず心が折れる。

放射線技師からゲームクリエイターってのは関連性がないようにも思う。

仮に趣味でやっていたとしても、その分野に飛び込むために仕事を変えるのはすごい勇気だ。

僕は作曲と少しギターが引けるが、今から音楽の世界にと言われても困る。

スキルをすでにもっていても生業を変えるのは大変だ。

沖縄から東京へ50歳間近で

www.okinawatimes.co.jp

業種を変えたわけではないけど、生きる場所を変えた人の例。

最近沖縄のラジオをよく聞いているので知った人。

これもなかなかの勇気だと思う。

長い間過ごした土地から東京へ。

仕事でもプライベートでも、多くのサンクコストが沖縄に埋まっているはずだ。

勇気のいることだと思う。

僕はどこでも出来る仕事を持っているのに県外に出て新しい生活をするという選択すら取れずだらだら住んでいる。

県外に出てみたいと何度も思ったにもかかわらず僕は縛られている。

彼は僕ができない選択をしたどころか、仕事先もまだ決まっていないと先日のラジオで話していた。

まとめ

それをやって退けた。結果がどうこうではなく、やるという行動を取る事はすごいことだと思う。

こういう意識があれば将来の不安なんて過剰に抱えずに生きていけるんじゃないかと思う。

お金より対応力、適応力、フレキシブルに生きる。つまりは精神的な柔軟性。

年齢や諸々の環境やスキルに対しての言い訳をせずやってしまえるような

そんな人間なら、

きっと過剰な不安を抱えずにいきて生ける。

自由に生きるために必要なものは、やはりお金ではない。

大事なものの一つは、こういった精神的な柔軟性なんじゃないだろうか。

お金でお金を稼ごうとするのは悪手かもしれない

お金でお金を稼ごうとするのは悪手かもしれない。

お金でお金を稼ごうとするのは悪手かもしれない。

たしかに効率悪くはないというか

ピケティ曰く、資本収益率は労働収益率の上昇率より高いのだからデータ的にも間違ってないんだと思う。

だから、これはやらなきゃいけない。

つまりは最低限分散長期インデックス投資は、生き抜くためにもやったほうがいいと思う。

ただ、

お金でお金を稼ぐ行為はキャッシュフローを維持しているという実感が得辛い。

高配当投資ならそれがあるという人がいるけど、高配当投資でもキャッシュフローが今後安定して得られる事を信じ切られるかどうかが境目になる。つまりプラスの妄想力。

僕にとっての印税がいつまで続くのかというものに近い。

さすがに、僕一人の作家の存続性と分散高配当では信頼度は圧倒的に違うけど、

労働してる分、収益率でいえばこっちに分がある。

後はコントロール性についてもこっちに分がある。やれば増えるという意味で。高配当は後は他人任せだからね。

話がずれたので戻す。

「キャッシュフローがあるという感覚」これはとても重要で、これが無いと不安が湧く。

また、「キャッシュフローが続くという感覚」これも重要。

これらが無いと不安になるから、お金でお金を稼ぐという行為はコントロール性が低いため信じきれない。

飛行機に乗るより車を運転する方が安全だと考えてしまう心理に似ている。

実際は飛行機事故より交通事故の方が多いのに、自分で運転しているから、とか地に足がついているから、コントロール出来ると人間は誤認してしまうのだ。

FIRE目標を達成しても不確実性は消えない

こういった理由から、FIREが結構机上の空論感があったんだとおもう。

キャッシュフローの有無に限らず、資産の持続性の保証は存在しないに等しい。

「4%ルールがあるじゃないか」といえる人は幸せだと思う。

過去は未来を保証するわけではないけど、それを信じきれるなら、うまくった時は最もハッピーな人だと思う。

でも、多くの場合、資産形成をするという選択を取るような人間は、悲観的な人間が多いんじゃないだろうか?

こんな楽観的な人間、少数派だろう。

だから、多くの場合、暇であるとかそういった問題を除外しても、金銭的な不安から、FIREしてもサイドワーク的なノリで何かをしようとするだろう。

するとどうだろうか。

会社員の頃と違って日々変動する自分の収入、つまりは仕事の成果と向き合う事になる。

個人事業主というのは時間的選択肢は自分に委ねられているからいいけど

金銭的な成果もすべて自分次第だ。

この選択は別に100%幸せではないと僕は思う。

僕は15年ほど漫画描きとしてやってきたけど、心配が消えた日なんて無かった。

年収が1000万を越えた年も何度かあったけど、もう大丈夫だと思ったことはなかった。

ただ「次はどうなるか」「来年、仕事があるかわからない」という不安は常にあったし、今は実際収益が落ちてきている。

不安の9割は起こらないとかいうけど、これは普通に起こる部類の不安なのだから、こうなる日が来るのは不思議じゃないと思う。

FIRE資産は貯まってるけど、仕事のキャッシュフローがなくなるかもしれないという恐怖は消えない。

なにか矛盾しているようだけど、何が起こるかわからないから資産があるからキャッシュフローがなくなってもOKとは思えない。

いつまで生きるかもわからない

鳥山先生の年齢までは生きられるであろうライフプラン、資産プランが整ったけどそれでも不安は消えない。

明日突然かけなくなるかもしれないし

なにか、不測の事態が起きるかもしれない

親の介護で機会損失が予測していなかったレベルで発生するかもしれない

お金の不安なんて、いくら資産があろうが不安症の人間が乗り越えるには無理がある。

今できることだけやる

だからというわけではないが

結局「今できることに集中する」事で不安妄想から逃れる以外に不安を払拭することなんてできないんじゃないかと、改めて思う。

お金の有無が無意味とは言わない。

でも、次の不安は確実に沸いてくるし、悪い妄想をするクセがあれば

今の2倍、3倍のお金があっても不安になっていそうな気がする。

いつ何が起こるかわからないのだから

考えても無駄なんだ。

考えても無駄だという事によって解決する以外

本当の意味では解決しないのかもしれない。

現実問題として解決しても、心の問題は解決しない。

そして、何よりも不安というのは現実問題というより、心の問題なのだから。

つまりはお金があっても不安は解決しない。結局、次の不安が沸いてくるだけだ。

まとめ

散らかったのでまとめる

  • お金でお金を稼ごうとすると損失リスクや変動リスクに対する不安がついて回る
  • 資産の持続性は保証されてないから、4%ルールみたいなものでは不安は消せない。
  • お金の不安は現実問題というより心の問題
  • 心の問題は⇨今に集中する以外解決できない
  • 今に集中するには、自分の仕事に取り組んでるのが一番いいんじゃないか

そんな事を思ったり思わなかったり。

漫画の仕事がなくなったら、副業Youtubeちゃんねる再開して全力動画投稿すればなんとかなるかな…まぁ、その時にならないとわからんけども、考えても仕方ない。

クソ文書いてないで、漫画書こう…

金持ちになろうとしてる人と関わらない方がいい

周りに流されるのは人間の性

金持ちになろうとしてる人と関わらない方がいい

承認を多く集めようとしてる人とも関わらない方がいい

人間は外的な刺激によって思考を振り回されてしまう生き物だ。

自制心どうこうの話ではなく、人間はそもそもそういう仕組になっている。

流されないのは優れているからではない

周りに流されない人もいる、僕もそうだと思っていたが違うみたいだ。

それに、周りに流されない人=優れていると一概には言えない。

極端に図太い精神を持つ人や、周りに対して鈍感な人、空気の読めない人のようなイレギュラーな気質を持っているなら流されないで済むかもしれない。

ただ、こういう人は他の社会生活に支障をきたしているパターンもゼロではない、優れているわけではなく「そういう気質」を持って生まれてきただけ。

これも一つの運である。

後々習得するのは難しい部類のものだと思う。

これも、持って生まれた才能のようなもので、場合によってはディスアドバンテージにもなり得るものだと思う。

前提として大多数の人間は周りに毒される事が一般的あるため、

「自分は周りに振り回される人間だ」と自覚して置くほうがいい と思う。

  • 金持ちになろうとしてる人と一緒にいると、ラットレースに参加させられてしまう。
  • 過剰な承認を求める人と一緒にいると「狂人達のオリンピック」に参加させられてしまう。

付き合う相手、話し相手、見た情報、読んだ本、

これらに影響を受けるという事は忘れてはいけない。

全く無くても、平気な人になりたい

金がなくても、承認が得られなくても、幸せでいられる人の方が

何かを持っている人より幸福な存在であると僕は思う。

「僕の価値観では」という話ではあるけど。

目標を達成してもゴールはズレていく

無くても平気な人になるのが僕の目標であると最近改めて思う。

追っているとずっと目標が前に前にとズレていく。

終わりは死ぬまで来ない。

終わらせられるのは唯一自分であり、自分で環境を整えるしかない。

僕は、

可能ならお金は、気楽に絵を描いたり、ものを作るための余裕が持てるだけあれば十分で

承認も、それらを楽しんでくれる人がわずかに入れば良いと思っている。

そのはずなんだけど、見失う事がある。

ズレるのは当然、ズレたら戻す。

自分が完璧のように思う必要はないし、見失ったり、外的要因で目標がズレたと感じたらその都度修正すればいいと思う。

修正できた回数の分だけ、戻るのが早くなるんじゃないだろうか

ズレたことを気づかないくらい戻るのが早くなれば、ある意味「振り回されない人」になれるのかもしれないけど

思考に気づく瞑想なんかと同じで、「全く振り回されない日」なんてのはきっと来ないんだろうなって思う。

1人で無人島にでも住んで、ネットも人との交流もまったく持たないとか、そんな選択をする以外はねぇ。

理想ポートフォリオと、資産形成のバカバカしさ

先日、認知機能が衰えた後の事のために資産管理はシンプルにしておきたいとか書きました。

改めてどういうポートフォリオ、アセットアロケーションがベストなのか考えた。

オルカン+10年国債と定期預金

オルカン+10年国債と定期預金

これがベターかなと思います。

なんら面白みもないですが。

後は生活防衛資金の現金。

オルカンとその他国債等との比率は個人のキャッシュフロー状況や、リスク許容度に合わせて調整すれば良いのではないかと。

ただ、17年以上持つ場合、株式は下ぶれのリスク範囲ですらマイナスにならないというのが過去データ上わかっているらしいので、17年以上先の資産は株でよろしいかと思います。

耐える覚悟さえあれば。

資産形成ってバカバカしいかもしれない。

書いててなんだけど。

人間、17年も生きてるかなんて、わかんないよなぁ。

資産形成ってすごいバカバカしい事なんじゃないかと思えてきたぞ。

「金を使って楽しむ」という考えもバカバカしいと思うので、別に無駄使いはしないけど

それに本をそんなドカドカ買っても読み切れないし

お金はやはり根本的な解決にはならない。

「もしも」の何かしらにしかならんし、そのもしもが金で解決できるかどうかもわからない。

吉田兼好の言う「病気の備え」は日本にはセーフティネットあるし。そもそも言うほど身構えて多額を備える必要がない。

じゃあ一体なんなんだ。

資産形成って。

謎。

ネットが不幸の元凶になってる気がするんだ

ネットで脳がバグって不満足になってる

ネットというか、SNSやニュースサイトが不幸の元凶になってる気がするんだ。

単純に、嫌な情報を見かける事が多いのもそうだし

ドーパミン関係の脳機能がバグって「不満足」な状態が続くから。

いつもやめようと思ってるのにうっかり見始めると止まらなくなってる自分がいる。

依存なんだろうなとはわかってるんだけど。

もうちょっと厳密に、LANを抜くなり、拡張機能でブロックするなりやり方を考えたい。

お金と人生

先日鳥山先生とTARAKOさんが亡くなったのだけど

彼らは世間的みればあきらかに成功者だし、お金も承認も得ていただろう。

それでも人は死ぬ。

これは平等な自然の摂理なんだと思う。

金があれば楽しい人生を送れるわけじゃない。

金は、多少嫌なことを減らしてくれる程度でしかない。

間違っても目的にしてはいけないものだと思う。

今あるものが失くなったら

今あるものが失くなっったら、どうなるだろうと考える。

欲するあまり、今ある何かを失うきっかけを作っていないか、よく考えて生きたい。

静寂の中で過ごす

ネットも、ラジオも音楽も、何もつけずに過ごす時間も

大事だと思ったりする。

そしてこれは贅沢な時間だと思う。

これを楽しめるというのは満たされているという事で、

これを楽しめないという事は、満たされていないという事だ。

アカギの死生観を読み直す

以前から、一度かって引っ越しで処分した「天」を買い戻そうと思っていた。

ラストシーンだけでいいと思って。

Kidnleでラスト部分の3巻程を買い戻した。

天-天和通りの快男児 17

天-天和通りの快男児 17

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ネタバレあるよ

動物は能力を失えば死ぬ

曽我と会話の後、曽我はアカギが認知機能を失って死を選ぶ事を動物に例える。

鷲が爪や羽、クチバシを失って生きる事が不自然な事であるように、アカギは死ぬのだと。

力を失ってただ生きるのではなく死を選ぶことを許容することについて語っている。

曽我自身、足が不自由になり車椅子で生活をしている。

その最中でのアカギとの会話。

曽我自身ふっきれたと語っているが

力を失ってぐずぐずと無理にでも生き続けるという事、

死を遠ざけようとする事の不自然さについて、改めて考えさせられた。

死は自然な事

死はたしかに怖いものだけど

不自然な事ではない。

その自然の不条理さを嘆くのは生物として仕方ない事なのかもしれないが

人間はそれを過剰に遠ざけようとする。

ピダハン族はこういった現在にない事に悩む先進国の人間を「頭のねじれた人たち」と呼んだとかなんとか、どこかで読んだ記憶がある。

狩猟採集民すべてがそうというわけではないだろうが、自然の中で生きている人たちは

我々先進国の人間と違って、生き死にがすごく近くにある。

生き物を取って食べるし、

人付き合いの関係性も狭く近いから、近くで人が亡くなっているのだろう。

ソレに比べて、僕たちは人が死ぬという事を感じる機会があまりにも少ない。

一節によると死に近い職業(医者や葬儀屋)は死の恐怖心が他の人に比べて薄いのだとかなんとか。

死にふれる経験が多いと、死が自然なものだと受容できるのだろうか?

生きる意味

「死を考えるのは生きる意味を見出すため」だなんて話もあるし

それはある意味同意する部分はある。

けれど

根本的に人間は自然の一部であって、意味が与えられて生まれているわけでもなんでもない。

ただ持って生まれた性質、環境らに対して反応しているだけに過ぎない。

しかし、それをどう感じるかは「選択したという誤認」ができる。

それがこの不条理な世界での、最後の気休めであって、最大の気休めでもあるんじゃないだろうか。

僕にはこれといった意味は見いだせないけど

とりあえず、どこかで腹をすかせている人が飯を食えるように、小銭を寄付することになんとなく生きているという事の気休めを感じていきるくらいしかできない。

後は、もう自分勝手に、好きな物を描いて書いて、ラジオを聞いて笑うくらいの人生で十分としよう。

何をしていたって人間は死ぬが

そこに倫理道徳が必要な意味がわかってきた。

死ぬとう事実は人を狂わせる側面もある。

そういう意味では仏教やストア哲学に触れてなければ、僕は大きく道を踏み外していたのかもしれない。

世間的にみれば、もう十分踏み外れれてるんだろうけど。

余談:今読んでる本

👇ちなみに今読み始めた本。中学生でも読めるように書かれた死の本らしいが、面白いかどうかは不明

エピクロスの言う「死ねば自分はおらず、自分がいれば自分の死はないのだかあら、自分の人生に自分の死は存在しない」を解説した序盤まで読んだところ。

死の講義

死の講義

Amazon

余談2:楽天証券のカード積立

カード積立の上限が10万にあがったとかで

楽天証券のキャッシュ⇨カードに引き落とし設定を変更した。

次回積み立てタイミングに合わせるには、12日頃までに設定する必要があるらしいので、必要な方はお早めに。

「複利」は人間には想像し難いものらしい

ムーアの法則には技術的に限界に達しつつあるって話を最近聞いたりしましたけどね、あまり詳しくないので割愛。

1950年代にテクノロジーの将来に対して楽観的な考えを持っていた人は、ハードディスク容量はいずれ1000倍になると予測したかもしれない。大胆な人なら、1万倍になると見込んだかもしれない。だが「私が生きているあいだに3000万倍になる」と予言した人はまずいなかっただろう。しかし、現実にはまさにその通りのことが起こったのである。

モーガン・ハウセル.サイコロジー・オブ・マネー――一生お金に困らない「富」のマインドセット(p.73).ダイヤモンド社.Kindle版.

複利の力は人間は想像し難いらしいという話がサイコロジーオブマネーに書いてあった。

アインシュタイン曰く、この宇宙で最もパワフルなものは「複利」らしい。

人類最大の発明といったという話もある。

ルネ岩田氏

最近、「ルネ岩田」って芸人さんのYoutubeをチラホラ見てる。

サイコロジーオブマネーを読了したあと、復習かねて人の書評でも聞いてみるかと検索したら出てきたのがきっかけ

この人、売れない芸人らしく、詳しくはよくわからんのだけど

Youtubeが軌道に乗って年収が300万になったとかなんとか。

投資歴が11年で、それまで年収200万だったとかポロッとこぼしてた。

そこまでガッツリ見てるわけではないので、誤解してるのかもしれないけどね。

売れない芸人でバイトしてたという話からして、あながちこのあたりの年収だった可能性は否定できない。

人間「このくらい投資してもな…」と考えてしまうからか、「金が貯まったら投資しよう」みたいな計画を建ててる人は少なくないように思う。

でも実際は、お金がない段階からコツコツ株式投資をしていればそれは複利で増えていく可能性を秘めてるから、貯蓄を貯めるという段階を加速してくれる。

僕の概算では誤りもあるだろうから具体的な金額は書かないけど、公開している配当金の額から予想するに軽く●千万は資産があると思う。

200万時代が本当なら、どうやって投資にお金を回していったのか、その話を聞きたいと思った。

稼ぐ事は運要素が大きくかかわるけど、節約節制は再現性が高い金策だと思ってるから、割りと興味がある。

生活防衛費は3ヶ月~1年もあれば十分

経済評論家で年始に亡くなった山崎元さんは、たしか「三ヶ月くらいの生活防衛資金で十分」と言っていた。

極端だと思っていたけど、間違ってはないと思う。

現金はそんなに必要ない。

僕は自営業なのでさすがに3ヶ月だと収入や入金タイミングにムラがあって難しいが、1年分もあれば十分すぎると思う。

サラリーマンなら多くても半年分あれば十分だろう。失業保険もあるし。

残りは株式と債券に分けてしまえばいい。

現金はそんなに必要ないのだ。

金があろうがなかろうが。

1000円でも2000円でも、出来る範囲で

複利を信じて、コツコツ積み上げていけば、大金持ちにはなれなくても、生活に困らないくらいにはなんとかなるんじゃないだろうか。

蓄財がすすめば安心感も増すだろうし。

しらんけど。

思えば僕が最初に投資した金額は5000円だった。

余談:鳥山明先生とTARAKOさんの逝去について

ふたりとも60代。

去年だったか一昨年だったかになくなった遊戯王の作者高橋和希先生も60歳だった。

病気、事故

人生何があるかわからない。

先を心配しすぎたり、お金に縛られない生活をするためにも、

資産は分散していく癖を習慣化させておいた方がいいと思う。

鳥山先生の年齢まで僕はちょうど30年。

30年なら今の貯蓄でも、仕事を完全にやめるわけでもないし、どうとでもなるだろう。

生き方を考える必要があると改めて思った。

日本人で僕と同年代、いやもしかしたらもっとかなり広い年代の人たちが、親しんできた作品を作ってきた人達の訃報を、重ねて聞く事になったのはなかなかに辛い。

そんなさなかクリプト用のTwitterを観るとくだらない金の奪い合いと流し合いで溢れている。

そんなクリプト界隈の人間ですら、一年後ニ年後、もしくは明日あさってに死んでいく人たちがいるんだろう。

先の事に頭を悩ませるより、今日をどう楽しむかを考えていきたいと改めて思う。

Twitter見てるくらいなら「ボケて」でも見てる方がほんといいね。

アメリカ一択ではなく世界分散を選んだ理由

チェルシー販売終了のニュースから分散投資のメリットを感じるのは僕だけでしょうか。

どんなに過去栄えていたものでも、いずれは衰退するのです

落ちる時の話

「アメリカが世界経済の中心で、アメリカが没落したら他も落ちるから一緒。」みたいな話がある。

たしかにそれはそうかもしれないが

未来が予測できるならその人は大金持ちになれるというのが市場の鉄則なので

こういった言説は役に立たないと思う。

アメリカだけ衰退する未来がゼロだとは言い切れない。

何が起こるかわからない。予測不確実だから分散するんだ。

ターミネーター2を作った映画会社

「カロルコ・ピクチャーズ」という映画会社があったらしい。

ランボー初代三部作やターミネーター2を制作した会社

この会社の株が組み込まれていたラッセル3000というインデックスファンドは70倍以上になっているが

この映画会社は倒産している。

何が起こるかわからないから、可能な限り分散した方がいいと思う。

上がる時の話。

「S&P500からGAFAMなどのITを抜くとTOPIXと同じ上昇率だ」なんて話があるらしい

実際に調べてないから詳細は知りません。

株価を押し上げているのは一部の会社であり、多くの会社が倒産低迷している。

インデックスの中身は変動している。

この事を忘れてはいけない。

先程のラッセル3000の株価を押し上げた利益のほとんどは、わずか7%の企業の成長 によるものだったらしい。

上昇においても、全体による恩恵というより、僅かな割合の企業による恩恵が占めている。

僕はこういった、これから上がる未発見な物に対する期待も込めて、世界分散を選んだ。

政治的な理由での多国籍企業への圧力

S&P500は良い指数だし間違うことはないが、それは米国内に限った話であることを忘れてはいけない。

もちろんグローバル化している現在、S&P500の企業は色々な国でビジネスをしている。

しかし日本人なら少しは考えたことがあるはずだけど

アメリカ企業に経済依存する状態が続いていて日本に得があるのだろうか?ということ。

それは多くの国々で思案されている事だと思う。

グローバルIT企業の影響が強くなればなるほど、「ちょっとウチで商売するならもうちょい考えてください」のツッコミはこれから増えていく。

自国経済の成長に直接的にプラスとは言い難い状態を野放しにするのは、さすがに愚策だと思う。

それらがバランスする時に、企業の利益が損なわれる可能性は十二分にある。

故に国の分散もすべきではないだろうか?

栄枯盛衰、諸行無常

ここ最近、Appleは株価を下げた。以前なら指数もガッツリ下がるような影響を及ぼしていたがそれも落ち着いてきた。

栄枯盛衰、諸行無常。

どんなものも同じ立場で居続けることはない。

万物は常に変化するからこそ、今の常識で考えない方がいい。

極端な話だが、東電株は年金代わりだと言われていた時代があった。

予測出来る事をベースに考えることにはあまり意味がない。

予測不可能な事が起きることを前提で、可能な限り分散する事が良い選択だと言えるのではないだろうか。

余談1:半導体ブーム

最近学んだことを少しメモる。

「投資で成功した人は死んでいた人」なんて言葉があるけど

人は盛り上がってる所にスイッチングしやすい生き物らしいので

最近のAI期待からの半導体ブームには不安を抱いている。

余談2:自社株買いは配当より株主への恩恵が高い

現金増えてる感覚ないと面白くないのかなーなんて考えて、高配当株を調べてたんだけど、誘惑が消えた。

「配当より自社株買いの方が株主への恩恵が高い」 という事を知り納得したから。

HDVやVYMを少しもっているけど、これもVTかオルカンにして、必要な時に売る方向にしようと思う。

配当金は取り崩すタイミングで、心理的ハードルを低くできて楽だという話がある。

確かにそうだけど、自動売却にしてしまえばあまり関係ないようにも思う。

何より僕はまだ取り崩すタイミングに至ってない。

先の不安を考えすぎなくても、その時にはまぁなんとかなるだろう。

まぁでも、年齢重ねて認知機能が衰えた場合に厄介なので

インデックス銘柄でも、オルカンがなかった時代の商品とか、バラけてるやつがちびちびあるのでまとめていこうかなとは考えてる。

ラッセル3000の話はサイコロジーオブマネーで学んだことです。

心理面の問題を徹底的に支えてくれる良書なので投資やお金に不安がある方にはおすすめ。

サイコロジーオブマネー読了/知足と分散積み立てと環境づくりについて

サイコロジーオブマネーを読了しました。

よかった所が多すぎて何が良かったのかよくわかりません。

漫画や脚本をする上で「ログラインを書け」とはよく言われたもので、短く完結にその作品を表現する事が作品を作る上で大事な事なんだとか。

これは、「どんな作品?」って観た人が見てない人に聞かれた時に答えられるという事にもつながる。

それは作品として頭に残るという意味でも大事だし、マーケティング的にも口コミ効果を生むという意味で大事だ。

って事で

サイコロジーオブマネーはどんな本か?

  • お金に対して人間の心理的バイアスを解き明かしながら「欲を追求しない事」「”十分”を知る事」「淡々と分散投資を積み立てる」事などの重要性を教えてくれる本

という所ですかね。

結局欲を減らす事が幸福である

最近、ニコマコス倫理学の動画を見た。

アリストテレスの中庸と、釈迦の中道は根本的には少し違うぞって話ではあるんだけど「価値観がバランスしてるポイント」って意味では同じだと思う。

お金含め、承認等の欲求も「手段」であり目的ではない

人間の目的は「幸福」になることである、というのはあらゆる哲学で主張されてる。

けど「幸福ってなんだろう?」という疑問については具体的であればあるほど、結局その時代や、その人の環境によっては齟齬が生じる。

中庸にせよ中道にせよ、あらゆる状況、環境、性格、障害を考慮した上で自分にとってバランスした幸福を定めなければならない。

これは自分が見つける事であって、教えてもらう事ではない。

お金に話を戻そう。

僕は最近、サテライト戦略の一つとしてクリプト運用を再開してるんだけど、ここは欲の塊みたいな人が多い世界だ。

無限に稼ぐ事こそ、正義みたいな。

でも、人間はいつか死ぬ。

稼ぐという数字のゲームを楽しむのも一興だけど、それそのものが幸福と直結してる人はさほど多くはないと思う。

僕も直結はしてないと思う。

しかしこの界隈にいると「稼ぐことが一番」みたいな思想が正しいように思えてくる事がある。

人は環境に思想を支配されている

マークトゥエインは「人間は機械である」と論じた。

人は結局置かれている環境と性格的な気質のマッチングによって行動が決定づけられていて、本人が決めているわけではない。

だから「環境づくり」は非常に大切なんだと思う。

どんな世界であれ「そういう人たち」の中にいると「そういう人間」になってしまう。これは良い方向にも悪い方向にも働く作用だ。

お金に貪欲な人、承認に貪欲な人たちとともにいれば、自分もそれらを求めるようになるだろう。

愚痴や文句に満ち満ちている界隈にいればそういう発言が増えるだろう。

なにかのスキルを探求したり、研究に励んでいる人たちとともに時間を過ごせば、自分もそういうった探求に時間を費やすようになるだろう。

良くも悪くも作用する。

だから、環境づくりが大事だ。

セミリタイア界隈は「悪くない環境」だと思う。

セミリタイア界隈にいると仕事をする意欲が失せていくように感じた事がある。

でも思えばそれは「足るを知る」を納得できる環境だったが故の結果だとも言える。

お金と仕事が結びつきすぎていたから発生しただけに過ぎない。

「作品数を増やす、多作の作家になる」というのが僕の一つの夢だった。

これはお金とは関係しているが直結はしていない、何に人生の時間を捧げるかという話だ。

セミリタイア界隈にいてもこれは出来る。

怠惰な人も多い世界だけど、お金に縛られずにやりたい事をやっている人が多い世界でもある。

だから、ここは悪くない環境だ。

「知足」と「無駄遣いしない事」という思想を身につけるには最高の環境だろう。

そして、この界隈の人たちは主にギャンブル的な投資に手を染めない安定志向な傾向があるから、「積み立て分散投資」についても定着させられると思う。

だから、この界隈にいれば、お金に困る事はまずないだろうと思う。

まとめ

  • お金や承認など欲求については「知足/無駄遣いしない」を大事に
  • 投資は分散積み立てをしながら、サテライトは趣味程度に
  • 環境に左右されるから環境設定を大事に。
    • お金に関してはFIREムーブメント以前から清貧セミリタイアやってる界隈が一番安置だと思う

サテライトで稼ごうとするより仕事を楽しむ術を見つけるのが自分にとっては幸福と直結してそうだと感じる。

結局FIREなんてフォーカシングイリュージョン、その日その日を楽しめる環境作りをしていくのが一番なんじゃないだろうか。

この本を読みながらそんな事を思ったり思わなかったりした。

読書レビューでもなんでもなくなったけど、そんな感じ。

適当に書いたけど、すごく名著だと思った。

お金について振り回されてるな、と感じた時に読み返したい。暇な時にペラペラめくる癖をつけたい。

人間は忘れる生き物だからね。

面白くない会話の特徴

2chまとめを読んでてふと思った事

面白くない会話の特徴

  • リアクションが無い
  • 自分語り

この辺。反対にガルちゃんまとめはリアクションが多い。

相手の投稿に対する反応が多いって事。

2chまとめは「ワイの場合は」って話になったり、スレタイに対する主義主張をし始める。

「誰かの投稿に反応するのではなく、自分が思っている事を話している人が多い。」

これは通常の会話もそうで、相手が話している事に対して反応するのではなく自分の話をする人はだいたいつまらない。

ゲーム実況の場合

これはたぶん多くのコンテンツにおいて言えるんじゃないだろうか。

面白いゲーム実況はゲームに対して反応している。

そのリアクションのサイクル頻度が高い程面白い。

ゲーム実況を面白くする場合

  • ゲームをとにかくやって出来事を発生させる
  • ⇨それにリアクションをする
  • 次の出来事が起こるまでのスパンを短くする
  • ⇨ゲームを進行させたり、編集ならカットしたり

会話でよくあるミスとしては、一度沸点を越えた話題に何度も上塗りをするとき。

芸人の会話でも出てくるけど、面白いポイントを越えたと思ったときにずっとこすり続けていると面白くない時間が増える。

これはサイクルの循環を遅くするから、飽きられてしまうからじゃないだろうか。

まとめ

まとめると、

  • 出来事(相手の発言や発生した事象)とリアクションのサイクルをよりよく循環させる事が面白いコンテンツを作る上で大事なんじゃないかって

ふと思った。

会話なら相手に話をしてもらって、リアクションをするってのは定番だけど

面白くない人は自分の話をしたがるから相手からしたらリアクションを受けられない事になる。この場合相手は「視聴者や読者」の立ち位置になるから当然。

延々と長い設定解説のモノローグを見せられてるようなものだろうし。

ゲーム実況でも「えー今回はですねぇ」は、ぶっちゃけかなり古いと思う。

ゲームをスパンと初めて、どんどん出来事を発生させてそれに反応する。

「展開させる」ってのは漫画では当たり前にやることだけど、それはページ数の制限があるから意識せざるを得ない事なんだよね。

たぶんTVドラマとかも展開させるのなんて当たり前です。って感じで脚本書かれてると思う。

でもネットメディアや会話など、制約が前提にないものは自由であるが故におもしろくするための意識が必要になる。

ドラマなんて1分ズレも許されないように編集されるけど、Youtubeは「なんやいつもより5分くらい伸びたけどええか」で作られる。

映画に無駄に冗長で退屈なものがあるのって、そういう事なのかもしれない。

利己的な活動を捨て、楽しく生きるには

人間が幸福を感じるポイントについては多説あるけど

個人的にそうだろうなーと思うのは

  • 利他的に生きること
  • 自分の人生をコントロールしているという感覚を持っている事

の2つは有力だと思ってる。

なので自分の生き方について考え直す。

「金銭欲や承認欲はコントロール感覚を低下させる+利己的である」という理由からこれらに関わるエゴイズムに気づいて軌道修正する事を中心に据える。

人間は忘れる生き物だからね。

その上で具体的に何をすればいいか

  • 適度に働き、余剰金を寄付
  • 作品制作、ネットでの活動を通して「笑い」や「エロ」などのエンタメを提供する

僕が出来る利他的行動はこのくらいなので、これのために生きようかなと思う。

バンク・ジョブのポルノ王

バンク・ジョブ(吹替版)

バンク・ジョブ(吹替版)

  • ジェイソン・ステイサム
Amazon

バンク・ジョブって映画を見てたんだけど

悪役のポルノ王が、麻薬販売を「儲かるぞ」って勧められるのを拒絶してこんな言葉を返していた

麻薬は若者を堕落させる。私の専門は”性の追求”だ。

って。エロも若者を堕落させるのは一般論だけど

自分の仕事にポリシーもってやることやらない事を、自分の哲学で線引するのって

まさに自分の人生をコントロールしてるって事だよなと思って、かっこいいなと思った。

世間の常識、親、宗教等々の何かに従うんじゃなくて、自分の人生は自分で決めなきゃダメなんだよ。

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