読んでる。もう後半。
明るめの話の展開だけどテーマがあれなのでモヤモヤしているシーンは多い。
ネタバレあるよ
ゴミ屋敷とセルフネグレクト
主人公の一人である、小説家兼コンビニ店長の部屋はゴミ屋敷になりかけている。
それを乗り越える事を決意するシーンがある。
独身者にとって、セルフネグレクトの回避は必須事項であると僕は考えている。
- 週に3日以上は10分掃除をする
- 一つ以上物を捨てる/日~週単位で
- 洗い物は毎日最低一回以上、寝る前には必ずシンクを空の状態にする。
これを一応目標に掲げてるので、幸い僕の部屋はそこまで散らかってはいない。
20代の頃はむちゃくちゃだった。
amazonの段ボールは床に敷き詰められていて、飲んで終わったペットボトルが転がっていたり
シンクは使い終わった食器や弁当のパックでいっぱいで数日に一度洗う程度。
その頃は激しく鬱っぽかった。
ただ、仕事も無茶苦茶やっていた。
これは職業柄そういう仕事という側面があるからかもしれない、精神的におかしいからこそ芸術活動ってのは前に向いて進んだりする事もある。
それはさておき。
今も鬱っぽい日は無論ある。落ち込まない人間なんていないから仕方ない。
落ち込んでもシンクは毎日なんとか掃除するし、飯も可能な範囲で健康的なものを食べるようにしている。
無論、毎日歩きに出ている。
(歩きすぎで体痛めてるんじゃないかと最近思ってるくらいだけど、肩周りはラジオ体操再開しようと思う。筋トレではどうもよくならないので)
独身男性の寿命
作中、独身男性のみが寿命が短いというフレーズが乱発される。
もう言わずもがなだけど、これは独身男性というよりセルフネグレクトによるものなのではないかと僕は考えている。
コンビニ弁当やカップ麺、タバコ、酒。
正直データがないので憶測だけど、生活習慣の乱れが大きい気がしている。
個人的には長くても60で終わらせたいと思っているので寿命についてはどうとでもなれと思っているのだけど
「メンタル」が歪んでしまう事は避けた方がいい。
これも寿命に関係しているけど、何よりも孤独が加速してしまう。
メンタルに重要なのは、運動と食生活、そして睡眠の質。
睡眠は逆説的にメンタルから崩壊することもあるのだけど、他の2つは自分で管理できるし、メンタルを維持する基盤だ。
運動と食生活。
これを整えつつ、終わりたいなら終われば良いが
自暴自棄になってむちゃくちゃな生活を送って、その末、孤独感を暴走させるような事にはなってはいけない。
だから、セルフネグレクトの回避を優先事項とすべきだと思う。
とはいえ、セルフネグレクトも事件で突然悪くなったメンタルに引っ張られて発生するような事もあるのだろうから(親の死や失業等)、なんとも言えないけど。
元気なうちにルール作りをして、可能な限り徹底する事で、少しでも自分を守って欲しいと思う。
快楽を求めれば、苦痛を加速させてしまうだけ
釈迦は、「苦痛も快楽も極端はよくない」と「中道」を説いたわけだけど
ドーパミン中毒の著者いわく、これは脳の仕組み上正しいようだ。
快楽(苦痛からの逃避)は、苦痛を増大させてしまう。
アルコール等は言わずもがな
自分の身の回りを整える面倒くささを放置すれば、問題として無秩序な空間が自分を締め付けると共に
脳には苦痛とストレスがたまり貯まっていく。
「小さい苦痛は良いものだ」というパラダイムシフトを体験すれば、小さい苦痛を乗り越える習慣は作れる。
生活を整えるのは他人に評価してもらうためじゃない。
結局自分を助けられるのは自分しかいないんだと自覚しろ。
自分もそうだけど、過保護環境に育った人ほどコレが出来ない。
「誰かが助けてくれる」と思って放置してしまう。
でも先延ばしにしてよくなる事なんて、一つもない。
僕は人間関係を構築してこなかったが、これは問題なのか良かったのかは今のところよくわからないけど
この問題と向き合わなかった事の結果の是非はともかくとして、挑戦しなかったのは事実だ。
部屋の片付けも、アルコールの問題も、あらゆるものが問題として存在していて、その一つ一つとどう向き合うかは個人個人価値観や閾値があるだろうけど
なんであれ
誰かの助けを求めても事態は好転しない。残念ながら、こればかりは自分で変えなければならない。
自分の脚で立つことで、はじめて他人が支えてくれる。
寂しさも救済も、他人になんとかしてもらおうと思っていたら、他人が助けたいような人間にすら慣れない。
自分でなんとかしようと自立の意思を見せて初めて、他人が手を差し伸べたいと思えるような人間になれるんじゃないだろうか。