お金以外の生きがいを作る力
生きがいを作る力。
行動の目的を作る力といった方がいいのかもしれない。
目的というか、なんだろう。これをやったらええ感じになるんやでという学習と感覚の話なんだけど
適切な言葉が浮かばないのでやや不自然だけど「目的」って事にする
やらされている目的
生きていれば、色々目的というものは出てくるが
最近は、スマホの影響が強くて、やりたくもない目的が勝手に作られてしまう時代だ。
朝Twitterを開いてスクロールすることが目的になってしまったり
Youtubeのおすすめ欄で面白い動画がないかチェックして、見ることが目的になってしまったり
メディアは恐ろしい。
これはもうブロックツールを使ったり。アプリを消すしかない。
依存は舐めてかかると痛い目を見るし、回避する事に無駄な意志力を使うのはもったいないので環境を整備するほうが手っ取り早い。
お金
お金は目的になりやすい。
しかし、5~10年ほどセミリタイアとかFIREとか追いかけてる人なら、そろそろ目標達成してる可能性がある
ここ数年の株の上げはひどかったし、今は下がってるけど円安で大方なんとかなってる人が大半だろう。
これは達成してしまうと、呆気ないもので
「そうでもなかった」と気付かされる上に、
お金の次がない事にも気付かされる。
お金は永遠の目的にはならない。
中には異常にお金を求め続ける人もいるけど、清貧思考的なFIREやらセミリタイアみたいな業界では
そういう人は少ないのではないかと思う。
寄付をする
余談だけど、寄付をする事でお金を目的にし続ける事はできるかもしれない
ただ、自己犠牲的にも感じる。
本人がそれだけで満足できるなら、それもありだと思うけど。
毎日6つの目的を作る
アイビーリーメソッドというのがあって
生産性アップに使えるぞって、自己啓発界隈とかで言われてるやつ
アイビーリーってコンサルが作ったんやでってやつなんだけど
- 毎朝6つのTodoリストを作る
- 優先順をつけ、高い方からやっていく
- 出来なかった分は全部削除して、翌日作り直す
これを繰り返すだけ。
長期的な目標というのは、目的にはなりづらいと思う。
例えば「海賊王になります」と言っても、まず何をすれば良いのかわからないように
金持ちになるとか、スキルアップするとか言ったところで、具体的に何をするか、落とし込めないと意味がない。
そういう意味ではアイビーリーメソッドは単純に生産性向上には役立つがこれだけでは深掘りが出来ず
事前に方法を調べたり、ブレインダンプやマインドマップなどを使って、頭の中を整理したりする必要があるとは思うけど
タスクは、どうでもいいような事でいい。
まぁ、
そんな大層な話だけではなく
- 10分掃除をする
- 10回腕立てをする
- 5分深呼吸
- 英単語ゲームを10問解く
とかそんなのでよかったりする。
要は「目的を見つけてこなす」を繰り返してれば人間の脳には「やった感」が生まれるからだ。
ゲームみたいな感覚でいい。
そもそもゲームはどうでもいいというか、無意味だ。
人生も同じく無意味だ。
SNSよろしく、ゲームでも無意味なタスクをやって楽しくなれるのが人間なので
無意味なものでも目的を達成するために行えば、無意味ではなくなる。
根本的には無意味だが、自分にとっては意味のある事になる。
他人にコントロールされるか自分がコントロールするか
SNSやゲームのように誰かに目的を作ってもらってそれをこなし続けるのも、まぁ悪くないのかもしれないが
無意味な事をさせられて楽しいと思っているのもなんだが癪だなと思うので
そればかりになってしまってはよくない。
というか僕は単純に依存がコワイので、依存しない楽しさ、生きがいを見出して生きたいと思う。
おわり
- 基本無意味だから無意味だけど自分で目的作ってこなしてれば、生きがい的なことは脳が勝手に誤認してくれそうやからやってみたらええんじゃなかろうか
みたいな話。
ゲームやネットもほどほどならいいけど、依存がコワイから、掃除してた方が安全に楽しめるよな。
韓国アイドル文化のレベルが高いよなと思う。
日本アイドルへのマイナス意見が含まれてますので耐性の無い方は読まんでください。
アイドル文化はさっぱりわからないんだけど、一応僕もクリエイターの1人なんで勉強してみようと思ってYoutubeで見てた。
少女時代とかKara?とか流行ってた頃は気にしてなかったんだけど
なんかここ数年やたらすごいよなと思って、
日本のアイドルとくらべて見てたんだけど。
- まとめ
- 個人の感想ですが、日本のアイドルPVがシンプルにダサい
- 対象が違うのか?
- 清楚売りという嘘
- まさか、日本のアイドル界隈、「加工場」になってる?
- 日本のアイドルも容姿は普通に可愛いのに。派手さ無いよねって話でした
- エロやオタク文化の方も
- 文化弱ってるのは、何が原因なのか
- 日本の宗教は「お金」
- 結論:良いものからは吸収したい。
まとめ
- 日本のアイドル曲も顔もいいのに、演出がくすんでる
- K-popは洋物っぽい派手さがあって「超正常刺激」の条件を過剰に満たしてる
- 文化発展が弱ってる原因は?お金の宗教化?
- 日本人目先の金しか見えなくなってる?
- ゲーム等のオタク文化やエロもオリジナリティや演出で負けてきてるよなぁ。
- いいものからは吸収して成長したいですね
アイドルから文化成長よわってるよねみたいな話になりましてん。
個人の感想ですが、日本のアイドルPVがシンプルにダサい
※これは個人の感想です。
日本のアイドルPVがシンプルにダサい。
K-popはセクシー系でどうとかそういうのはおいておいて
シンプルにダサかった。比べるものでも無かった。
検索ワードが「日本 アイドル」だったからもうちょっとちゃんと調べたら、かっこいいPVがあるのかもだけど。
全体の色はくすんでるし。
アイドルはジャンクフードと同じで、美女、美少年や音楽、映像を用いた超正常刺激なので、あんなくすんだ絵面では、中毒性を持たせるというエンタメの目的が果たせてないと思う。
K-popはそれを全部やってる感があった。男性アイドルの方は見てないけど。
微エロ混ぜてるのがうまいなと。
日本のアイドルファンは「エロはいらない」って思ってるのかもしれないけど。
対象が違うのか?
日本のアイドルはゴリゴリに処女厨みたいなオタクを対象にしてるんじゃないかと思ってる。
最近は違うんだけどAKB出始めとかはたぶんそう。
でも今は女の子のファンとかもいると思うんだよね。
清楚が売りなの?
でも芸能業界ってそういう所じゃないじゃないですか
清楚売りという嘘
仮に清楚を売ってるなら
それは嘘だよねって思うんだな。
アイドルが枕やってるとかそういう話は真実かどうかって話になるのでおいておいたとしても
まず前述した通り「超正常刺激」なんですよね。アイドルって。
それを売るって事は中毒にしなきゃいけないんだ。
エンタメのジレンマでめちゃくちゃ言い方悪いんだけど、他人の脳を傷つけて成立するのがエンタメなんだよね。
清楚はそれを満たせないんだよ。
だから結局、清楚で売るなら、清楚ビッチ路線になると思うんだけど。
それって、アイドル文化とマッチしないというか、仮にも清楚ビッチの恩恵受けられるのってファンじゃないよね。
リアルに周りにいる男たちだよね?
まさか、日本のアイドル界隈、「加工場」になってる?
ゴリゴリにゲスい話だけど
もしかして、
清楚という属性を自分たちが育てたアイドルに付与することで
美味しく加工しているのでは?
いや、これはさすがに深読みしすぎたか。
日本のアイドルも容姿は普通に可愛いのに。派手さ無いよねって話でした
最後の方はおじさんの深読みなのでおいておいて
とりあえず超正常刺激の癖に、派手さ無いよなって思ったよって話。
ダンスもだらだらだし、映像もくすんでるような色味
これだとキャリーぱみゅぱみゅのが、全然アイドルとしての役割果たしてる感じだけど、あの子はアイドルってジャンルじゃないんかもしらんが。
エロやオタク文化の方も
余談だけど、韓国はエロ規制強いっていうけど
このアイドル文化の派生なのかオリジナリティあるエロがぽんぽこ出てる
オタク文化の方でも、まぁ一線超えられる国では越えとくか、みたいな感じで展開してるサービスがある。
これは中国もだけど。
日本はなんかぐずぐずしてるのが多いというか、
昨今はオタク文化に関しては中国ゲームが強すぎて日本ゲーム死んでる感ある。
Pixivのジャンルも中国系ゲームが盛り上がってるし。
文化弱ってるのは、何が原因なのか
考えても仕方ないけど
文化を作る力が弱ってるのは何が原因なのだろう。
お金がないのか。
打たれるのか怖くて、出る杭になれなくなったのか。
既得権益が強くて潰されてしまうのか?芸能界は知らんが、他はそんなことはないと思うけど。
弱ってるよなーって感じる。
お金がないのかもね。本当に。
日本の宗教は「お金」
最近日本の宗教は「お金」だよって話をどこかで読んだ。
若者の間で「お金さえあれば」、が強くなってるんだとか、他の国がどうなのか知らんし、そもそも周りに若い子がいないので実際の雰囲気は僕もわからんのだけど。
でも個人的にお金って自分の表現の世界の色味を消すと思ってるんだよなぁ。
これは自分の話だけど、「お金のために」と思って漫画や絵を描く事がそもそも出来ないんよね。
お金で依頼をもらってるし、額の大小はあるけど、でも、結局自分が頭は「その作品を作りたいかどうか」でしか動かないから。
で、お金お金ってなってると「アンダーマイニング現象」が働くから、お金をもらえるかどうかが価値の判断基準になってしまう。
でもエンタメ含め、芸術ってのは「自分が作りたいかどうか」でしか熱を帯びないから。
仮に本当に、日本の若者の間でお金が宗教になってるなら
日本のエンタメが衰退する感じもわからんでもない。
いや、これは作る側の問題だから、若者というより僕らおじさん世代の話か。
お金の宗教のせいで、日本人は、目先のお金ばかりで先を見れる人が少なくなってるのかも。
日本政府の事言えたものではないのかもなぁ。
クリエイター側も目先しか見てないのかも。
結論:良いものからは吸収したい。
あれこれかいたけど
日本のアイドルのよかったところ
曲は普通によかった。
今まであんま聞いたことなかったけど、曲はよかった。
これは良いところ
良いものを吸収する
良くも悪くも、太陽の下に新しきものなし。なので、創造ってのは複数の既存のものの組み合わせでしかない。
あれはこう、これはああだと批判してても仕方ないので
良いものは吸収してなんぼだ。
僕はシンプルにK-popの演出は衣装も色も洋物っぽい音楽もすごいと思ったので、それは自分の創作に吸収したい。
これを頭ごなしに反韓思想やらで批判してると、成長できないと思う。
せっかくグローバルなのに「あれは韓国のだから」とか言ってたら文化も育たない。そういう頭の硬さも時には必要なのかもしれないけど。
Webtoonとかも結構いいなと思うしね。スマホにマッチしてて。
取り入れられるものは取り入れて、考えていかなきゃ、
日本の文化は素晴らしいなんて時代は、どんどん押されて来てて、今やゲームは中国、アイドルは韓国の時代だし。
漫画アニメ側も色々アレな話は聞くし。
隅っこに居着かせてもらってる身としては、意識を持ってやらなきゃいけないかもしれないと思った。
雑記:節約を楽しみたい。投資とのバランスは大事だなぁと思った話
節約も生活の一つであって、人の生活、人生ってのはゲームと同じだと思ってる。
課題があって、それを解決する工夫や、達成感を楽しむ。
コレ以外なにものでもない。
ぼくらの時代は、スマートフォンというポケットの中にパチンコが入った時代だから、達成感を楽しむというのが難しくなっている。
長期的な努力目標はあの四角い物体にすぐにぐちゃぐちゃにされてしまうような時代。
ネット依存なので、この対策が何をするにも第一だと思うけど
その後節約をどう楽しむか考えていくのはいいんじゃないかなと思った。
節約ルール
この話は何もまとまってないので
自分の節約ルールだけど。
- 食費は無理に削らない
- フリマアプリや図書館の活用
- 感動にはお金を使う。美術館や旅行などの交通費(あんましないけど)
- ブランド品は買わない
- 仕事などにプラスになるものにはお金を使う(投資
- 趣味で稼げそうなら稼ぐ
今思いつくのはこれくらい。
節約というか、稼ぐとも絡み合ってくるけど
「お金を使わない」という一辺倒の思考では収入も下げてしまいかねない。
自己投資とのバランスは大事だと思う。
今は本読んで漫画描いてるだけなんだけど、Youtubeもなんかやってみたいとは思ってる。
その辺にお金がかかるなら使ってしまおうかと。
ブログも考えたけど、文字は自由に打ってる方が気が楽だし、ストレス発散のために書いてるから、お金とつなげるとメンタルバランス的なものを失いそうな気がするので。
Youtubeやるならゆっくりやボイロかなぁ。しゃべるの面倒だし。
死にたい人は勝ち組:死にたくなったらどうするか
死にたくなった時人間は、何をすれば救われるのだろうか。
これは決して専門的な話ではないので、役に立たないかもしれない。
自分は長年「希死念慮」を持っていたが、最近は薄らいでる。
基本的な対策
- ジャンクフードをやめる
- 運動量を増やす
- 日光を浴びる
- よく寝る
この辺は基本的な対策として効果は高いけど
睡眠なんかは、そもそも眠れないことで悩んでる人も多いだろうし対策のしようがなかったりする。自分もそうだったし、今も若干怪しいのでなんとも言えない。
ただ、運動量を増やすと眠りやすくなったりするので、相関関係にあるんだと思う。
どれかが欠けるとバランスが悪くなるから、少しずつ改善していくのがいいんじゃないかと。
性格は変えられないと知る
性格はほとんど変わらないらしい。
性格を5つに分けた代表的な指標のビッグファイブでいうところでは、変わる要素もあるが変わりづらい要素もあるという感じ
何より「変えよう」という意識が自分を否定することになることもあるので
頑張ってもほぼ変わらないものだと理解した上で考えた方がいい。
大事なのは「変えてなんとかする」のではなく「今の自分を受け入れる」事だったりするらしい。
何かを変えて問題解決しようってのは心理療法の世界では限界があるよねという見識もあるらしいので、まず受容することから始めてみては。
認知行動療法をやる
自分の希死念慮が消えた一番の要因はこれだと思う。
- 認知の歪みのパターンを学習する
- 状況とそれに応じた自分の心理的な反応を書き出す
- 認知の歪みを探す
- 俯瞰して別の考え方を考えてみる
この力はスキルだから鍛えられる。
所詮、どんな状況でも幸せなやつは幸せで、不幸せなやつは不幸せ。
これは認知の結果にすぎない。
幸福は本当に、心理的なものであって物理的にどうという事ではないのだろうと思う。
もちろん物理要素が原因で心理的に圧迫されることもあるだろうから、本当に物理的に逃げなければならない時にはそれを優先しなければならない。
けど、往々にしてまず心理的なものなのでスキルを鍛えれば、心理に対する対処も早くなるはず。
本は読書療法としての効果もあるらしいけど、CBTの実践はアプリなどを使うと習慣化しやすいかも。
曹洞宗が出してるこれが良さげだった。
余計な事を書くが、仏教は宗教として分類されるけど、個人的には元はゴリゴリの哲学だと思っているし、曹洞宗はオカルト要素薄い宗派なのでわりと信頼できる日本仏教かと思ってる。
心療内科界隈からも出てるらしいし、いくつかあるので合うものを見つけると良ろしかと。
認知のゆがみチェッカーもシンプルで良いアプリでした。
人に話す
個人的には、これができりゃ苦労しねぇよの代表作なんだけど。
死にたい思いを話せる相手やサービス、正直5chの人生相談的なスレでもいいと思う(自殺スレは死にたい人が集まってるのでおすすめしない)。
とりあえずなんで死にたいのか書き出す事と、別の視点を得られて楽になれるかもしれない。
認知行動療法の亜種として他人の視点を借りるようなものだと思えばやりやすいかも。
とにかく紙に書き出す
俯瞰するだけでも違ったりするので、CBTの亜種としておすすめ。
筆記開示やエクスプレッシブライティングとか呼ばれてる手法
個人的には認知の歪み10選くらいは学んだ後にやった方がいいと思う。学習しておけば、書き出した時「これは飛躍した考えだな」と気づける回数が増えるかも。
おわり:死にたいやつは勝ち組
放っておいても人間はいつか死ぬので
別に死に急ぐ必要もない。
それに、死にたいやつってのは死にたくないやつより儲けものだと僕は思っている。
この絶対的な不条理である、死という存在はどんな人間にも否応無しに訪れるので
死にたく無いやつは、死にたくないと思いながら死ぬことになるが
少なくとも、死にたいやつは死への恐怖は抱えるとしても、心の何処かでは「やっと」と思って死ねるだろう。
終わりよければすべてよしなんて言葉があるけど、
最後が悲観か、安堵か
その違いで言えば、死にたいやつに軍配が上がっている。
だから、死にたいやつは勝ち組だと思ってのらりくらりとしていればいいのではないかと
そんな事を思ったりする。
おまけ:認知の歪み10選をまとめてくれてるサイト
生きがいが無いならばどうするか
自由意志は無い。偽善も自己満足であるようだが所詮反応してるだけ
マークトゥエインは人間を機械であると説き
慈善活動も自己の精神的満足を満たす目的に沿った行動であると説いた。
その冷徹であるとも取れる言葉は僕は真実だと思ってる。
自由意志はない。
与えられた環境の中での選択も、その過去の選択の結果生み出されたもので、最初の選択は環境によるものだから結局は環境に反応しているだけ。
自由意志など無いのだ。
それでも利他的に生きる事は偽善であろうがなんだろうが、利己的に満足を得るのに十分な行為であるし
功利主義的にも人類の幸福貢献をしていると思う。
現場で直接に利他を実践するとなると大変な事も沢山あるだろうけど
利己的であるより、遥かに精神的に満たされるだろう。
自分の中に生きがいを求め、満たし続けるのは難しい。
生きがいを自分の中に求めるのも一興だと思う。
僕は漫画描きなので、一応芸術の端くれで、こういう芸術活動というのは他者貢献というより自己の衝動を満たす行為だ。
それ故にかアーティストには自殺者もそれなりに多い。
自己を満たす行為では本質的には自己を満たせない。
他人を満たすものを作れているかどうかは「人気」で証明される。
しかし、人気もお金と同じ。
結局は「ずっと足りないまま」だ。
これだけあれば十分だと言えるラインはない。
逆に僕のような清貧思考の人間だと「十分だ」と満足してしまえるわけだけど
仕事として行っている以上意欲が低下してしまう。
ならば、仕事をすることを通して直接的な利他を実践してみてはどうだろうと思った。
いろんなドキュメンタリーを見た
ホームレス、障がい者、がん、ヤングケアラー、
いろんなドキュメンタリーを見た。
精神が病んでくると「自分は不幸だ」と思ってしまう。
そういった時は視野が狭くなって、自分の内側にばかりに思考がいってしまう。
しかしどうだろうか。
世の中、本当に大変な状態に置かれてる人は山ほどいる。
生きがいが無いなら、助けることを生きがいにしてみることはできるのではないだろうか。
自分の生きがいのために利用するようで申し訳ないが、この利用はWin-Winだ。
メサイアコンプレックスに陥っているわけではなく、冷静に俯瞰して考えられてると思う。
ただやる気は無いし金も使わないが多少なら金を稼げる泥人間が、本当に生きたい人、なんとかしたい人、大変な人にちょっと寄付するだけの話。
意味のない、生産性のない漫画を描いている人間が、そういう人の役に立つならと、自分のよくよく考えれば無意味なアート活動に詭弁ではあるが理由を設けて見るだけの話。
多かれ少なかれ、長生きをする自信はないし
生きた意味があると思いたいなら、自分は、
自分の事を知ってもらうとか誰かの心にのこるなんてつまらない事より
明日食うに困ってる人に、おにぎり一個食わせてやりたい。
そんな事思ったり思わなかったり。
自分は自分のために金を稼ぐのにあまり向いてなかったのかもしれない。使わないんだから当たり前っちゃ当たり前だけど。
サバ缶食ってれば満足でいられる。高いサバ缶を買ったところでたかが知れてるし。
良くも悪くも、金を使わないスキルが育ちすぎた。
後は哲学と心理学をやりすぎて、利己的な行動が非利己的な結果を産む事の虚しさに絶望してしまったから、利己的にお金を使えなくなったのかもしれない。
良くも悪くも、不器用だから生きる意味なんてものを探して生きなければいけない。
本当に面倒な事になった。
国民年金2年前払いして、これはただの「税金」だと思った。
年金払ったらめっちゃお金減った感あるけど、なんでやと考えた所、わいはもらえる額まで生きられへんし、生きていてもなんの希望もないクソ老人になってるだけやんなぁと思ったでって話。
前払いでいくら得するのか
令和4年度は前払いすると以下の額がお得になるらしい。
6カ月前納…1,130円 1年前納…4,170円 2年前納…15,790円
参考:https://www.nenkin.go.jp/service/kokunen/hokenryo/20150313-03.html
前払い金額がやべすぎて、不正請求かと思った。
僕は何を思ってか2年分前払いにしたわけだけど。
額が「381,530円」
不正請求かと思った。
というか確定申告の時ややこしそうだから1年の方がよかったかなと反省してる。
以下のサイトによると
- 収めた年度に全額控除
- 1年毎に控除
を選べるらしい。
https://www.nenkin.go.jp/faq/kokunen/seido/kojoshomei/20180221.html
最近はろくに働いてないし、年収は下がっていく一方なのでまとめてやった方が得かもしれないと思ったり
でも来年なんかあったらと思うと、毎年の方がいいかもしれないと思ったり。
選択するというのが面倒。
もう面倒なので毎年にしようかなと思ってるけど、実際どうするかはわからない。
面倒だし、まとめて「お金が減る」のは鬱陶しい感じがある。
年金をもらうまで生きられない。
普段自信が無い自分が自信を持って言える事だけど。
僕は年金をもらえるところまで生きられない。
だからこれは税金と同じで返ってこないものだと思ってる。
それでも何年生きるかわからないからもらえるかもしれない。
しかし、「まともな65歳」になってるイメージはわかない。
1人で在宅で死ぬか、緩和ケアの中死ぬか
知ってる作家さんがツイートしてたので、先日↓のAudibleを聞いていた。まだ聞いてる途中だけど
延命治療は結構な拷問で、死ぬ時は余計なことせず死ぬのが良さそうに見えるがどうだろうっていう、医師兼小説家の方の著書。
僕も無駄な医療は拷問だと思っている。
65歳はまだわかいかもしれない。
だけどもう十二分に死を意識する年齢でもある。
死ぬためのお金を年金で頂いて、若者に負担をかけるくらいなら、貰う前に死んでしまったほうが功利主義的に正解だろうと思う。
それに、
自分自信、老人になった状態でちゃんとメンタルを保っていられる自信がない。
哲学やメンタルヘルスを学んでメンタルは鍛えられてきてるかと言えば、実際はたしかに以前のように慌てふためくような事にはならなくなったけど良くなったとも言えない。
そういう気質なんだろうと思う。
本来の気質は変えられない。これは仕方のない事だ、緩やかにしていければ万々歳なんだ。
老後のお金って。
そもそも老後ってなんなんだろうって思う。
今が老後みたいな生活をしている。
セミリタイア目標達成して、印税もあるので質素に暮らしてればお金では困らなく生きていけると思う。
それを目指していたし、それを達成したら変わるのではと思っていたが
何も変わりはしない。
暇が増えて苦痛が増えただけだ。
人間忙しくしてる方が良いが
もう僕には社会に何か貢献する手立ても無い。
漫画を描くバイタリティのようなものは年々なくなってきているし、ピークにくらべて売上も圧倒的にオチた。
せいぜいインターネットお絵かきおじさんになるのが関の山で
それでも世の中に対して、無料ですら価値の無いものを生み出してしまいかねないスキルしかない。
面白いとか楽しいとか、そう思ってもらえるものを作り続ける事の難しさを感じている。
これも結局お金と同じなのだろうと思う。
どこかで踏ん切りをツケて諦めて生きていかなければならない。
人の一生とは、上手く諦めるスキルが高い人が一番うまく自分自身の欲と共に渡り歩いていけるのではないかと思ったりする。
なんとも、虚しい話だけど。
まだ何かを追いかけている人にはわからないだろうし、それは一時のものだから気をつけておいた方がいいと思う。
しかしこれは僕の気質の問題であって、多くの人はここまで虚しい感覚を覚えず、日々を楽しく生きているのだろうと思うので
やはり、これは残念な形で生まれてしまった僕の問題なのだろう。
なるようにしかならないし、生まれを嘆いても生産性もないので
多少なりとも目指したいものでも探していければと思う。
「おいくら万円」あれば暮らしていけるという幻想について
FIRE界隈ではよく出てくる
「生活費が●●円なら、資産が●●万円あれば資産収入だけで生きていけます。」
僕もこういう考えで生きていたけど、
よく考えると、人生というのは、イレギュラーにどう対応するかという事と同義、だと言っても過言ではないのではないか。
闘病Twitter
最近、闘病Twitterを読んでいた。
ゲームクリエイターの方が30代前半で希少がんになって東京、四国を行き来しつつ入院、手術を行いながらゲームを作っていた。
お金の話題もちらっと出てくる。
病気になったら予定していた将来より短くなるかもしれない。
だからそれも加味すれば上の試算は問題ないのだろうとは思う。
しかし、そういう事なのだろうか。
実際、お金が減っていく事へのストレスもあるだろうし。
何より、体を悪くした事に対して、上のような安全思想に毒されて、未来が約束されたと勘違いしてしまう事は、逆効果になるのではないだろうか。
適者生存
一時期前にYahoo知恵袋に、「この世は弱肉強食なのに社会で弱者を救うのはおかしくないですか?」といった質問が投稿されて
「適者生存」が話題になった事があった。
強弱ではなく、適応するものが生き延びているという話。
「生き延びる」の定義にもよるけど、最後まで生きたと言い張れる人生を送りたいなら
過去のデータによる試算で未来への対応力を失うより
行き当たりばったりでも常に変化、適応していく事の方が圧倒的に重要で
それこそが 仮初の経済力なんて不要な、自由と呼べるものなのではないかと思ったりした。
僕は不安症だ
僕は不安症だ。
生きるのも死ぬのも面倒だと思うのに、病気がコワイ。
お金の問題も、自分の自由が制限されることもコワイ。
僕に必要なのは、この問題を解決するためのお金ではなく
コワイという意識に適応することなのだろうと思う。
持っているものを失いたくないという感情
何かを得たいというより、持っているものを失いたくないという感情の方が強くなっている気がする。
たとえば、仕事。
仕事はアイデンティティの一つとなっていて、自分のペンネームでのTwitterアカウントなんかは自分の存在を認めてくれるコミュニティの役割になっている。
僕は現実の社会生活をろくに送ってないから、Twitterが停止されたら誰とどうやってコミュニケーションを取ればいいのだろうかと悩ましい所。
お金は割りと、減るのはもう仕方ないと思ってるけどお金が減る事もそうだろうし
結局、得てしまった事の代償を払っている。
得る事も、失うこともセットなんだなと思う。
命に関してもそうだ。
生まれてこなければ死ぬ恐怖を感じなくてもいいわけだし。
人付き合い、恋人や家族もそうだろう。
得れば失うことにおそれ、
持っていなければ得られない事に苦悩する。
厄介だなと思う。
楽になるには、欲や執着を捨てるか、死ぬしかない。
どちらも大変だ。
生きるのは大変な事ばかりだ。
行動活性化療法をやる(何度目かわからないけど
認知行動療法のひとつ、行動活性化療法をやる。
行動活性化療法
やり方は簡単。
- 自分の一日の行動を振り返る。一時間区切りくらいで思い出せるだけ思い出す *「 楽しさ」と「重要さ」というカテゴリで10点満点で点数をつける
- しばらく続けて楽しい行動を客観的に知る
- 楽しい行動を多くできるように計画を立てて実行する
こんな感じ。
もう少し詳しく知りたい方は専門家のブログをぐぐりなはれ。
本もあるけど翻訳がちょっと分かりづらい。
行動活性化療法をやる理由
もうなんというか。
認知症がコワイ。
早い人は40代から始まるらしい。最近は若年性認知症も増えてるみたいだし。
人付き合いも増やした方がいいんだろうけど、難しいから無理せず
とにかく自分ができる範囲で「楽しい」と思う事を増やす。
ネットばっかだらだら見てないで、読書は漫画、映画でもいいから感情が動く事をやる。
そういう感じにしたい。
後は、活力がなさすぎるから、楽しいと感じるものを増やしていきたい。
どうせそんなに長生きも出来ないだろうし、短い人生、少しでも楽しく生きたい。
ネガティブな人間だしペシミズム哲学が合う気質だけど
それでも別に生きてる間くらいはそれなりの楽しみを感じていた方がイイ
つまらなくしてようが、楽しくしてようが、いつかは死ぬんだから。
20代の頃に死んでいればよかったと、時々思う
今、死ぬと、自分でも、ただ不幸の中でその選択をしてしまったかのように思ってしまう。
まだ未来があるうちに死んでしまった方が、その選択をする事に時間を割いたように思える。
40も近くなると、ただ先が見えないから死んでしまったかのような
そんな気がする。
少し後悔して死ねるくらいが、幸せなのしれないと思ったり思わなかったり。
歳を取ると、体が思うように動かなくなったり、精神的にもアレがしたいコレがしたいという気分がわかなくなってきたりするようで
あとは、ただ穏やかに死ねればそれでいい、とそんな事を思うようになった。
老いと怪我をした事
ちょっと怪我をした。詳細はかかないけど、痛みでうまく歩けない状態の割りと派手な怪我。
老いはこれとくらべてどのくらい生きる事が面倒くさくなるのだろうと、そんな事を思った。
生老病死は避けられない苦痛であると釈迦が説いているけど。
老いは怪我や病とくらべてどのくらい苦痛なのだろう。
僕はまだ経験していないからわからない。
怪我ですら経験していないから、その苦痛を理解しきれていなかったように思う。
20代前半で割りとでかい怪我をした時の事をもう忘れてしまっている。大変だったという記憶はうっすら残っているけどそれだけだ。
治るのならそれでもいいのだろうけど。
老いは治らない。
病も怪我も場合によっては治らない。
後はこうやって、苦しさが大きくなる世界で死ぬまで生きるだけなのかと思うと
あまりそこに希望を見出す事はできない。
一時の喜びを大事にして、それだけを糧に生きていけるような根明の人間だったら、こんなふうに考えたりしないのかもしれないけど
ただ痛みを受け入れて、抵抗せずに今は耐えてるけど
長く耐える事になったらもうどうでもよくなってしまいそうだ。
老いはもとに戻る事はないから。
それを苦痛だと認識し受け入れられなくなったら、それこそ死を選択するに匹敵する苦痛になりうるかもしれないと思った。
たかが、ちょっとした怪我でもそういう気分になるのだから。
持っていないものを得れば変わるかもしれないと思う事について
筆記開示してたら出てきた。
最近niconicoを見てる。
ボイロ実況なんてオタクな事やってる人は自分と同じジャンルの人間だと思ってたけど
割りと充実してる人もいるようだ
それぞれボイロ実況チャンネルを持って旅動画を作ってる三人組がいた。
リア充やんけと思った。
自分には、そういう旅をする友達がいないから、そういう存在がいると変わるのかもしれないと思った。
しかし、
これも虚構だろうと思った。
僕は家族とすら一緒にいるのが苦痛な人間で、過去にも友達と長時間一緒にいる事に耐えられないと思った経験は山ほどある。
友達どころか彼女もそうだった。
結局、そういう気質なんだろう。
スキゾイドかどうか、そこまでいくかはわからないけど。
他者と比較して、持っていないものを探して、それを得れば変わると思ってしまう事は、自分が作り出せる毒なのかもしれない。
自分にとって孤独というものがなんなのかまだわかっていないけど
外部の情報を利用して孤独を解釈しようとすると全くもって毒でしかないと思わされる。
でも自分にはそれがちょうどいいのかもしれない。
わからないけど。
人といると疲れる。
その事を忘れて、気のおけない友達がいればと思ってしまう。
何が足るを知るなんだか。
まだ多くを求めてしまってる。
満足しつつ停滞せずに生きるというのは難しい。
メンタル病む人は自分の事ばかり考えている
メンタルのお医者さんによると、落ち込みやすい人って「自分のこと」を考えてる時間が、とにかく長いらしい。幼少期や学生時代、社会人のつらい過去を辿っては、いつもネガティブに押しつぶされる。落ち込みたくないときには「大切な人のこと」とか「楽しみとか好きなこと」を考えるといいらしいですよ
— まいける (@ma_ikeru68) 2022年5月26日
スレッドになってまして。
「暇」が原因だよねという話もしてる。
同意。
対策
↑これは割りと短時間で効く。
利他の実践をする
哲学、主に釈迦や東洋思想、あとは物理とか宇宙論の動画見てると、他人の境界ってなんやねんみたいになることがある。
ダライ・ラマが言う通り
自分自分のエゴイストは満足できないただのアホで、真のエゴイストは利他の実践をするんでしょう。
他人は自分を映す鏡的な役割で、そもそもクオリアがあるかもわからないし
他人に喜んでもらう事が、自分が喜べる最短の方法なんだろうなと、最近思う。
わしみたいに、その「他人」がいないなら、TwitterやらYoutubeで人を笑わせるコンテンツでも作成してればええねん。
それでええねん。
所詮は利他も気休めなんやから。
みんないつかは死ぬんやから、死ぬまでの時間、ただただ気休めしてごまかして生きられればそれでええんよ。