ドーパミン中毒を読んでから快楽と苦痛について結構パラダイムシフトが起こってるんだけど
この「何をすれば良いのか」ってのも苦痛からの逃避なんだろうなと気づけてきた。
何が自分にあってるのかとか、何をすれば楽しいのかとか
これは楽しいことがわからない、とかそういう事ではなく、苦痛からの逃避行動。
苦痛を受け入れないと始まらないんだろうと思う。
この状態がおかしいのか、人生ってのはこういうものなのか
それはよくわからないのだけど、とにかく他人がどう思っているかなんて事は議論してもクオリアの有無を模索してるのと同じくらい無意味な行為だと思うので無視するとして。
自分がこの苦痛を避けようとしている状態から開放される方法を考えた方が良さそう。
「何かに没頭する」というのはショーペンハウアーはじめ多くの哲学者が出してる幸福に対する解答なんだけど
「没頭」と「依存」の境目は?
なんて事を考え始めるとどんどんよくわからなくなってきた。
とにかく、
おそらく今自分にとって必要なのは
- 依存ではなく、没頭出来る事をやる
なんだと思う
その際の注意点として
- 生活を害さない程度の自制を保てる事
- 一定の苦痛を許容すること(楽なことばかりではない)
- ★損得勘定で考えないこと
3つ目は大事かもしれない
コレは仕事に役立つのか?とか考えて本を読む不毛さったらない。
昔はこれが当然だと思ってたけど、今思えば、こんな無意味な人生の中で、銭をいくらか多く稼ぐなんて行為に価値があると思ってることの方がどうかしてる。
人間は生きて死ぬだけの動物だ。
損得勘定より面白いかどうかを大事にしたい。