- 苦痛と快楽はシーソーの関係
- 片方を多く経験すれば片側はどんどん短くなっていく
- より多く、長く、刺激の強いものが必要になる
- 相反過程理論…感情や快楽は、片方に居続けるとコストが発生する
- 逆の反応が強くなる
- 鎮痛薬を常用すると痛みへの耐性が弱くなりあらゆる痛みを訴えるようになるが、やめると正常化してくる事が明らかになっている。(オピオイド鎮痛薬誘発性痛覚過敏)
デジタルドラッグ・SNS・お金・性欲・ニコチン・ギャンブル・カフェイン、あらゆるものに置き換えて考えていきたい。
個人的に、自分の人生を害していなければ問題ないと思う。
ただ自分の生活を客観視するのは難しいのだけど。
しかし、このシーソー関係が科学的に今後正しいとされ続けるのであれば
ヘレニズム時代の「快楽より平穏」的な哲学や、仏教やアリストテレスの中道や中庸、東洋思想の「足るを知る」的な価値観ってのは幸福にとって正しいといえるのかも。
もう少し噛み砕く。
- 快楽を得れば良くなるのではなく、苦痛コストを強める
- 苦痛から逃げは「前借り」のようなもの
- 大事なのはシーソーのバランス(中道や知足)
- 得ても幸せになれないならどうすればいいのか…?今を生きる的な事かな?
最終的にはやっぱ心理学的にも幸福の正しさは「今を生きる」的な事になるんだけど、この言葉は多用されすぎて少し、ふわふわした感じになってる気がするからそこは問題かなと思う。
まぁとにかく。
苦痛から逃げたり快楽を求めたりしても、それは幸福と言える状態とは程遠いのだという事はおおよそ間違いはなさそうだ。
体調とまだ生きるのか
体調は少し持ち直し、「まだ生きるのか」とか考え始めた。
死ぬのも生きるのも、どちらも厄介だ。
依存といえば、生への依存は死の恐怖を強める気がする。