隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

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20代の頃に死んでいればよかったと、時々思う

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今、死ぬと、自分でも、ただ不幸の中でその選択をしてしまったかのように思ってしまう。

まだ未来があるうちに死んでしまった方が、その選択をする事に時間を割いたように思える。

40も近くなると、ただ先が見えないから死んでしまったかのような

そんな気がする。

少し後悔して死ねるくらいが、幸せなのしれないと思ったり思わなかったり。

歳を取ると、体が思うように動かなくなったり、精神的にもアレがしたいコレがしたいという気分がわかなくなってきたりするようで

あとは、ただ穏やかに死ねればそれでいい、とそんな事を思うようになった。

老いと怪我をした事

ちょっと怪我をした。詳細はかかないけど、痛みでうまく歩けない状態の割りと派手な怪我。

老いはこれとくらべてどのくらい生きる事が面倒くさくなるのだろうと、そんな事を思った。

生老病死は避けられない苦痛であると釈迦が説いているけど。

老いは怪我や病とくらべてどのくらい苦痛なのだろう。

僕はまだ経験していないからわからない。

怪我ですら経験していないから、その苦痛を理解しきれていなかったように思う。

20代前半で割りとでかい怪我をした時の事をもう忘れてしまっている。大変だったという記憶はうっすら残っているけどそれだけだ。

治るのならそれでもいいのだろうけど。

老いは治らない。

病も怪我も場合によっては治らない。

後はこうやって、苦しさが大きくなる世界で死ぬまで生きるだけなのかと思うと

あまりそこに希望を見出す事はできない。

一時の喜びを大事にして、それだけを糧に生きていけるような根明の人間だったら、こんなふうに考えたりしないのかもしれないけど

ただ痛みを受け入れて、抵抗せずに今は耐えてるけど

長く耐える事になったらもうどうでもよくなってしまいそうだ。

老いはもとに戻る事はないから。

それを苦痛だと認識し受け入れられなくなったら、それこそ死を選択するに匹敵する苦痛になりうるかもしれないと思った。

たかが、ちょっとした怪我でもそういう気分になるのだから。

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