筆記開示してたら出てきた。
最近niconicoを見てる。
ボイロ実況なんてオタクな事やってる人は自分と同じジャンルの人間だと思ってたけど
割りと充実してる人もいるようだ
それぞれボイロ実況チャンネルを持って旅動画を作ってる三人組がいた。
リア充やんけと思った。
自分には、そういう旅をする友達がいないから、そういう存在がいると変わるのかもしれないと思った。
しかし、
これも虚構だろうと思った。
僕は家族とすら一緒にいるのが苦痛な人間で、過去にも友達と長時間一緒にいる事に耐えられないと思った経験は山ほどある。
友達どころか彼女もそうだった。
結局、そういう気質なんだろう。
スキゾイドかどうか、そこまでいくかはわからないけど。
他者と比較して、持っていないものを探して、それを得れば変わると思ってしまう事は、自分が作り出せる毒なのかもしれない。
自分にとって孤独というものがなんなのかまだわかっていないけど
外部の情報を利用して孤独を解釈しようとすると全くもって毒でしかないと思わされる。
でも自分にはそれがちょうどいいのかもしれない。
わからないけど。
人といると疲れる。
その事を忘れて、気のおけない友達がいればと思ってしまう。
何が足るを知るなんだか。
まだ多くを求めてしまってる。
満足しつつ停滞せずに生きるというのは難しい。