幸福になるには、山崎さんいわく「自己承認感」が必要らしい。
承認欲求とも言いかえられると思うけど、際限の無いものではなく満たされていればいいのだという主張も含まれているような気がするので自己承認感としておいた方がいいのだろうと思う。
欲求と説くと、無制限的に聞こえてしまうしね。
「認めてくれる人が少数いればいい」
といったところか。
さて。
俺はそれがないわけだけど。
絵を描いてアップしてると、世界中からLikeがもらえるのでまぁいいかとも思える。
しかし、これは間違えれば承認欲求的になる。
そのため、「数字」にとらわれないようになるべく数字はStylebotなどのツールを使って削除している。
Likeが複数はついたという事実と、たまにリプライがくればいいかーくらいの感じ。
でも、あまり健康的とは言えない。
本当ならば、認めてくれる相手を見つける事が最もな手段なんだろうけど
それを作るのは難しい。
諦めて、セルフコンパッション的な手法で自分で認めていくしかないのか。
それとも、そもそもこういった幸福定義を捨てて生きるのか。
何にせよ、小説を読んでる間はこういった事を忘れられるので、処世術として、逃げだとしても、有益にも思える。
所詮、どんな不幸も忘れてしまえば、力を持たない。
人間はいつか死ぬのだから、苦痛そのものを完全に忘れる事はできなくても。忘れる手段を駆使して生きる事こそ、本当の幸福なんじゃないかと思ったりもする。
最悪の苦痛の前には、所詮、承認感なんてものすらも幸福に寄与しないだろう。