駄文のまとめ、とか言いたいこととか思ったこととか、
- 承認感は大事というが、無い人はどうすんねん
- 承認感は孤独 と言い換えることもできるよなぁ
- 認知行動療法や、自然に触れたりもいいけど、小説や好きなドラマ、好きなアーティストの曲を聞くのでもいいらしい
- (仕事の成功)もメンタルの安定も、「小説読め」(語彙力がすべてを解決するぐらいのノリで)
- 退屈とも言いかえられるが、退屈⇛スマホ(ネット) はやはり悪循環というデータがあるそうな。
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昨日書いたブログでは、承認と幸福の山崎氏の話を取り上げた。
ぶっちゃけ、少量はそういったものの必要性を感じるし、釈迦もそういう生き方をしていたので
結局誰かに必要とされてる感覚ってのは人間にとって大事なんだろうとは思う。
だけど、それを求めていたら、バランスをうまく取れないタイプの人間もいるわけで。
僕のように。
じゃあ、そういう人は承認感が欠如する問題をどうすればいいのか。と考える。
承認感が欠如した状態は言い換えれば孤独だろう。
孤独の対処法は複数あって。
認知行動療法や自然と触れ合う時間を増やす、等々よくあるメンタルヘルス的なものから
小説や好きなアーティストの曲を聞くなど気楽なものもある。*1
ここにも小説が出てくるのは、僕の確証バイアスのなし得た結果なのかは知らんのだけど。
たぶん、僕が最後に求めるものの一つに小説が結構マッチしてるんだろうと思う。
漫画もいいんだけどね。文字情報だけの方が気楽というかなんかそんな感じの時期なんですわ。
ということで。
承認得られない人は、小説でも読んでれば?って話。
余談だけど、「退屈」と言い換えられる部分もあるよなぁと思ったら、ちょうどパレオさんが退屈の記事を書いていた。*2
スマホを触ると退屈が増すらしい。
最近ネットから離れてる自分としては、その感覚は肌身で感じてる。
スマホやネットに逃げた所で、何も満足できないから不満足が膨らむだけなんだよなぁ。
仕事や筋トレのノルマこなすとか、本を一章、一冊読み切った後の満足感に比べると、ネットで得た小さい満足ってのは、ほんと何にもならないんじゃないか。
目的があるなら別として、大抵の場合脳がバグってるだけだからなぁ。