ケチる貴方を読了
「我が友、スミス」の方が好みではある。
無論ネタバレをする。
本書は「 ケチる貴方」と「その周囲、五十八センチ」の二本収録
ケチる貴方について
極度な冷え性の女性がある事がきっかけで温かさを手に入れられるようになる話。
自分の真意ではない方向性へと無理をしてしまう話。
正直、あまりピンとこなかった。
しかし、相変わらず文章が面白い。
その周囲、五十八センチ
後半の短編「その周囲、五十八センチ」は良かった。
体型に恵まれていない女性が太ももの「脂肪吸引」を発端に、脂肪吸引に依存していく話。
偶然にもドーパミン中毒を読んだ後だったので、内容がすごくマッチする。
痛みには依存性がある
と、痛みのある人生にハマっていく様子が描かれていた。
終盤、美容外科の先生から言われる言葉が刺さる。
「あなたが人よりガンバレたのは、その脚のお陰なんじゃないの?」と。
人間は、「欠点」をバネに、動悸に生きる事もある。
僕にとっては「不安」だったわけだけど
ネガティブも使いようだ。
不健康ではあるが、主人公は仕事を頑張り、そのお金を脂肪吸引に捻出し続けて生きている。
その人生の是非については、あくまでレヴィ・ストロースの言う「構造の奴隷」的な思考で考えるなら、良いものとは言えないと思う。
とはいえ、主人公は脂肪吸引をするという人生の糧によって生きているんだ。
依存は確かに問題だ。
それによって人生が狂っているのであれば、治したいと考えているのであれば、他人に迷惑が生じているのであれば問題だろう。
でも、自分の問題として自分が消化出来ているなら、それはそれで一つの人生だと思う。
これも一つの中道という事だろうか。
いや、本来なにかに縋って生きるのは普通なんだ。
それが新しすぎたり、多すぎたり、刺激が強すぎたりするが故に問題として表面化しているだけで
人間ってのは結局なにかに縋って生きていく。
何もなかった頃は、それはコミュニティだったり、ちょっとやばい植物だったり、少量の貴重な嗜好品だったんだろう。
今との違いはおそらくソコんところなんだろうと思う。
脂肪吸引は間違いなく強すぎる刺激だが、それで生きていく事ができるならそれも一つの人生。
そんなことを思いながら読んだ。
そして、改めて思うが、人は飽くなき欲の探求の結果幸福になるのではないのだと思う。
和敬清寂
「和敬清寂」という言葉がある、千利休発だとかなんとか。
和は他人と折り合いをつけてうまくやること、仲良くすること
敬は尊敬の意味。他人には他人の価値観があるのだから、尊重するという事。
清は自分自身が清く生きること。身の回りを整える事
寂は、静かさとされるらしいが、涅槃寂静の「寂」つまりは余計なもの抱えない事と説かれる事もあるそう
苦痛の中にいる時、全く逆を言っている気がする。
人を非難し、自分の価値観を押し付け、他人をコントロールしたり、他人より優れていると証明しようとしたり。
自分が自分を尊敬できない行為に走る、怠惰に時間を過ごしたり、よくない事をやってしまったり
そして多くを得ようと、抱え込む騒がしい人生。
僕は可能なら、強い刺激に依存するより、こういう人生がいいと思った。