さて。
Twitter依存を少しばかり脱却したけど、単純に体調が悪くてTwitter見る事で体力使ってたら原稿が書けないから致し方なくという感じ。
しかし体調が悪い事も相まって
「残り短い人生、こんな事で時間使うのか」と思うのは効果的だと思った。
依存対策に「死を想え」
メメント・モリとか言うけれど、
セネカ、鴨長明や吉田兼好、釈迦、思想家達は「死を想え」というか、命の有限性をきちんと理解しておけと説いている。
死について考える事は、今に集中するための劇薬でもあり良薬でもあると思う。
死は誰にでも訪れる。
拒むことはできない。
人類が歪めることができない自然法則で、不条理なものだ。
その不条理さを嘆いたところでどうにもならない。
誰にでも訪れる。
この不条理さと向き合うと
今自分がやっていることは、本当に自分がやりたいことなのか、と振り返る事ができる。
少しでも自分の思う通りに体が動くうちに、
自分がやりたい事をやりたいと思う。
ひょんな事から、5年後、来年、もしかしたら明日死ぬ事だってあり得るわけで
Twitterなんてだらだら見てる場合じゃないし
必要以上のお金を求める事もまた無意味だ。
今やりたい事を楽しくやっていればいい。
足りないものじゃなくて、今あるものを数えて大切にしてやればいい
際限の無い欲に付き合って時間を浪費するほど、人生は長くない。