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読書メモ:自分以外全員他人

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読みました。

無論ネタバレあります。

主人公は自殺志願者の中年男性

主人公はゆるやかな、自殺志願者の中年男性。

未練たらたらのタラレバや、自分の正義を正当化し、他人を蔑み怒りを抑えていたり。

なんというか、共感できるところもあれば、幼稚だと思ってしまう側面が強く、読んで良かったとは思えなかったです。

ただ、作品としては面白かった。と思う。

読後感は良くない

「正しくありたい」と願いつつ生き、そしてラストには…という感じ。

まぁ、主目的が達成されないのは物語の構成あるあるなんだけど、太宰治賞の何恥じないというべきか、この救われなさがなんともね。

読後感は良くはない。

ただ、帯で町田康さんが書いてる通り、色んな人がいるから、まぁ人に優しくしたほうがいいなという感覚には陥ったが。

ただ、それはなんというか、結局なんの助けにもならないと思わせられるような、そんな気分です。

変わることの難しさ

読んで思ったのは、「変わることの難しさ」かなと。本質は、不条理さとの向き合い方、受け入れる力というところだけど「変わること」として話を進めます。

最近、僕は「38歳くらいが人間のDNAに刻まれた寿命です」って記事を読んで

じゃあ残りの人生、おまけみたいなもんか

と思えてある意味、すごく吹っ切れたんだけど

なにがきっかけで人間変わることができるのか、これは本当に難しい問題だと思う。

変わるにしても、本人の意思や努力以前に、そのきっかけが必要になる。

きっかけというのは「環境的要因、外部的要因」なので、自分でコントロールして引き寄せるのは不可能に近い。

たとえば、

Twitterでふと見たツイートがきっかけになることだってあるかもしれないし

本屋で偶然見つけた一冊の本かもしれないし、偶然参加したボランティアで出会った人かもしれない。

上に書いた38歳寿命説は、ガルちゃんまとめの中に登場して、調べたら見つけた記事だ。

こういう偶然に巡り会えない無い人が、どれだけいることか。

そもそも論として、変わることを望む思考であるという事もまた、環境的要因の結果なのだろう。

僕たちは自分の意思で自分を変えることはできない。

マーク・トゥエインが説いた通り、おそらく人間は機械のようなものだから。

自発的に思考しているわけではなく、その思考に至るまでに元々の持って生まれた素質を元に、外部の情報に対してどう反応するか、でしかない。

自殺する人も、経済的に困窮する人も、ホスト依存の女性たちも、Vtuber投げ銭中毒の推し活勢も、キャバクラ風俗通いおじさんも、

別に自分で選んでそうなったわけではなく、反応の結果そこにたどり着いている。

そこに絶対的な良し悪しはなくて、本人が抜け出したいと感じられるかどうかという出発点にたって初めて本人にとっての善悪が分かれる。

しかし、経済的困窮(あくまでも困窮レベルならば)は多くの場合本人が抜け出すことを望んでいるだろうけど、他はどうだろうか。

外から見て「おかしいから、変わりなさい」は全体主義的な発想だと思う。

本人の意思が変わるような、外部的な刺激が存在するかどうか。コレがないとまず変われない。

こういった「運の要素」はどうしようもない。

できるのはその先。

解決策は:読解力かもしれない。

www.youtube.com

ホストが読解力を鍛えて売上を伸ばすという話を見た。

ホスト業の是非については一旦保留しておくとして。「読解が重要である事は同意しかない」

ただ、読書はしてるけど読解できてるかどうかの客観視は出来てないよなと思ったことと

母語読解はすべての学力のベースだという認識はあったので、読解ドリルを買ってみたりした。

動画内で語られている通り、読解力は問題解決力に影響する。

読解力はもしかすると、問題行動の多い人の生活を改善する手段の一つとして役に立つかもしれない。

僕自身、20代に本を読みまくってから生活をなんとか立て直した過去がある。

ただ、100%解決は難しい。

未だに死にたいと思う事もあるし、相変わらずネット依存気味だし、回避性パーソナリティ障害の気があるようだし。

でも、それでもいくつも抱えてる問題を処理できたから、なんとか38年生きてこられた。

眼の前の問題を一つ一つ片付けて行くことができれば、少しくらいは楽になれる。

ナゼ、依存するのかを知れば、それを少しは避ける事ができたりもする。

話がずれてきたけど、

冒頭の小説の主人公は「読書をしない人はどうやって問題と向き合うのだ」といった趣旨の表現をしていた。(うろ覚え)

それなのに狂ってしまったのだから、結局役に立たないのかもしれないが、これは、フィクションだ。

作者の作品に込めた意図は結局は作者のみしかわからないが、

僕は一つの解決策として「読解力」や「読書」というのは、有りなんじゃないかと思っている。

次は、もう少し明るい話を読もうかなと思った。

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