昨日の日記に書いた通り、
不安は現実のリソースで解消するのは難しい。何故ならば不確実であり不条理だからだ。
将来の不安をお金で解決するには、生活費の25倍や33倍では到底足りない。とわかってきた。
問題は「いくら使うことになるかわからない」事であって、今の生活費を支えられるかどうかではない。
例えば、親の介護が始まったら?病気になって働けなくなったら?といった不測の事態までは計算に入れられない。
それにサラリーマンが退職を視野にいれてリタイアする場合「贅沢したくなったら?」という問題もわく。
One more year Symdromeが起こるのはこういった問題を解消することが出来ないからだと思う。
アドラーの言う通り感情は、そもそもそういう感情に浸りたいから発生しているのであって、条件や状況がそうさせている場合ばかりではないんだ。
ボクの場合は「不安」が付きまとっていて、不安は、いい面を見れば不安になることで問題解決をする課題を探していたのだろうと思う。負の面はわからないけど、負の面もメリットを求めてのことだろうから、不安で落ち込む事はボクに何か利益があるのだろう。まだ分析はできていないけど。
だから、不安の解消そのものは課題にならない。
今までも、お金に対して不安になることで
- 仕事の能率をあげる学習や工夫をした
- 投資をガツガツやれた
等々結果としてお金の問題はかなり解決した。
ただ、根本的に将来の解決をしたわけではないし、そもそもお金に対しての不安ではなかった。
これは「未来に対する漠然とした不安」だ。
芥川も自殺した、あの謎の恐怖心だ。
「先に何が有るかわからない」ということを考えすぎて支えきれなくなる。
ボクはその救いをお金に求めた。
結果的に一部の重荷はなんとかなったように思う。
しかし、根本的な解決にはならない。すべての不確実要素を取り払うことはできないからだ。
不安そのままにして今できることをやる
得心するまでにかなりの時間はかかったが、結局森田療法が言っている事を実践するしかないんだろうと思う。
感情はそのままにして、できる事をやるしかない。
今できることだけに集中していれば、かなり楽に感じる。
後の事は後の自分に対処してもらうのがいい。
先におびえて別段やりたくもない副業やらに時間を割いたところで、結局収益率の悪い、気分ものらない時間を過ごすだけだったし。
今は漫画を描いてれば良い。
それができなくなった時は、その時に考えるしか無い。
多少の準備はできても、すべての準備は出来ない。
まだ発生していないお金の心配にはお金について学ぶ時間を少しばかり取ればいいし、介護が心配なら介護に関する事を学ぶ時間を少し取ればいい
先の事は先のことでしかない。
もしかしたら何も起こらないかもしれない。
起こらないかもしれない事に多くの時間を割くのは馬鹿げている。
少しずつ、重荷が取れていっている気がする。