便秘に効く筆記開示
コロコロ便が続いており
なんじゃーこりゃ状態だった。
水を多めに飲んだり、サイリウムや難消化性デキストリン等色々やってなんとか安定したかと思ったらすぐ戻る始末。
やっぱりストレスなのかなぁとストレス対策を再考。
筆記開示とクロッキー中に💩したくなる事がおおかった事を思い出し、筆記開示してたら💩出た。
手動瞑想と慈悲の瞑想が身体的リラックスにはすごく聞いてる感あるんだけど、(あくびよく出るし身体の力がすごく抜ける感覚があるから)
リラックスにもいくつか種類があるのかもしれない。
わからんけど、腸に効く形のリラックス法はもしかすると筆記開示やクロッキーなのかもしれない。
筆記開示はもう10年近く前からやってるんだけど、どうも一度やめてから習慣化しづらくなってる。
漫画を上手く描けてた頃は毎日欠かさずやってた。(インプット量も多かったから出すものも多かったんだろうか
色々思うに、ボクにとってこの作業はかなり効いてる気がするのでやっぱり続けたい。
毎日やろう。5分ずつでもいいから毎日やろう。
一番好きなスタイルはPCにタイピングしまくって、思いついたことを別途まとめる手法だけど
紙ペンでもいいからどこでもできるし、手軽なストレス発散方法として一番自分に合ってるのかも。
ブログなんて書く時間あったら筆記開示やってろってことか。
お金を忘れる決心をしかけている
心配としてのお金の存在。
先程の💩が出る前の筆記開示中に書き出したことだけど
- ストレスの原因を完全に断つことはできない
- お金の問題を解決しても、体調や親の介護等、別の問題は必ず出てくる
- 未来永劫安心するためのリソースなんてない
って事に気づけた。
だから
- お金の事はもう終わり。リスク資産無リスク資産のリバランスを年に1-2回程度やるための管理をする程度に。
- ストレス対策を継続(筆記開示等
- 漫画執筆(それに関わるインプット)を楽しむ
って方向にシフト、というか、元に戻していきたい。
さっき、川崎昌平さんのこの本読んでて
「続けるために」ってのがあった。
僕自身も最近ブログに書いてたけど、
お金のためにとか、お金があったら仕事やめるとか、そういうよくその辺で効くFIRE論ではなく
「ものづくりを続ける」ってのがボクの目的だって気づけてきたから
お金はそのための材料でしかないんだなと。
働く働かないのシンプルな定義じゃなくて、ボクは創作を続けるって事を「働く」と定義してしまって「働かない方がなんか楽なんじゃないの」っていう変なバイアスにハマって、仕事に対する心のコントロールを失ってた気がする。
描くための生活を支えるお金であって
描く事でお金を稼いで、描かなくなるためのお金、では無いんだ。
でもなんかよくわからんけど、FIRE論に認知を歪まされて以来、後者になってた。
そもそもFIREはサラリーマン向けの思想なんだよ。好きでやってる側が導入できる話をしてるわけじゃないんだあの人達は。
セミリタイア思想というか、清貧、節制思想だけで十分なんだわ。労働うんたらを定義するのはフリーランスには無駄な話なんだ。
それと、描く事も欲だ。
だから、東洋思想的にはこれを捨てきれたら最高なんだろうけど
釈迦が説くように所詮は「中道」、極端は良くない。
極端の道をイケるものはいけばいいけど、それは結局その人の中道のポイントが端っこにあるだけなんじゃないかと。
結局自分の居心地の良さが大事なんだろうなって。
それはボクにとっては、描き続ける事、創作物を楽しみ続ける事であって
働かない事は、描き続ける事より面白くない人生なんだ。
人それぞれだけど、こういう事に気づけてきたから、少し楽になってきた。仕事って定義付が邪魔してただけなんだろうな。絵描くのが仕事って別にきつくもないのに言葉がおかしい。
ま、締切は面倒くさいから、同人にシフトしてはいきたいと思うけど
どーなんだろうな、写植とかやってくれるから商業の方がやっぱ楽なのかな。
ま、どっちかって話じゃないし、商業は仕事の依頼が無いと描かせてもらえないから、できる範囲でどっちもやればいいかー🥑