先進国ってのは、財布は豊かになってるのかもしれないけど
住む人々の心は、貧しく脆くなっているようだ。
しかし最近は、経済的な意味でも豊かになれないと思えてきた。
賃上げは、ほとんどインフレ補正程度にしかならない
僕の母親が、「昔は売店のアイスは10円くらいだった」と話していたのを聞いたことがある。
今やその辺のお店で買えるアイスといえば、観光地だと500円600円したりする。市販のものでも最低100円前後はする。
では10倍豊かになったのだろうか?もちろん、そんなことはない。
たしかに、衛生面やインフラ、便利なものもたくさん増えた。
衛生面もインフラも、大事な事だから否定はしないけど。
経済的に豊かになったというならば、日本人の働く量は10分の一に減っただろうか?いや半分、三分の一くらいは減ったか?
へってないよね。当たり前だけど。
賃金があがってもインフレに合わせて上がっているだけなんだから。
労働に頼るとずっと水準は変わらないんだろう。
そう思うと改めて資産を産む資産を買うってのは大事だと思うが、今回はその話したくないので割愛。
時間も減ってる
ネットができて便利になった。
効率もよくなった。
でも今度は、家でも働くようになった。
もしかすると、豊かになった反面、
可処分時間が減ってるかもね。
というかSNSに時間を費やし、私を見てくれと、どこの誰ともわからない相手に必死になってしまっているし、お金を目的にせずとも承認を求めて時間を浪費しているかも。
まぁ、これはブログ書いてる時点で自分もそうなのかもしらんが。(我に返った。スター機能外そう)
経済的自由ってなに?
経済的自由ってなんなんだろう。
お金がたくさんあることじゃなくて
時間が自由になるだけのお金があることなんじゃないだろうか?
無限のお金や物は必要ない。
自分の時間や選択が自由になるだけのお金があればいい。
その敷居を下げる事も経済的自由にとっては大事なことだから、節約、節制は馬鹿にできない。
先日、下のような動画あがっていた。
サイコロジーオブマネーの著者の動画だ。
要約すると「BMWはブランド価値であって見せびらかすために金を払う事になっている。TOYOTAでええやん。」みたいな話。
高級ブランドのターゲット顧客は「自分を金持ちに見せたい人」であって、本当に裕福な人ではない。彼らは周りにどう見られるかを気にしていないのからね。『サイコロジー・オブ・マネー:一生お金に困らない「富」のマインドセット』の著者であるモーガン・ハウセルが実例を元に説明しています。 pic.twitter.com/YLE022n8GM
— Brandon K. Hill | CEO of btrax 🇺🇸x🇯🇵/2 (@BrandonKHill) 2024年3月16日
節約節制は「見栄からの脱却」がスタート地点になる。
そしてこれは死ぬまで続く葛藤だ。
僕は、釈迦が完全無欠超人のような悟りには至っていないだろう、と思っている。理由は、承認欲求はずっと残っていたように見えるからだ。
説法活動とかやってたらしいし。つまりは自分の哲学を知ってほしかったのではないかと。
それは、今で言えば、ブロガーやYoutuberがやってるような事と同じで
「その考えいいですね」と言ってほしかったのではないかと
だから、承認欲求を捨てるのはそれほどに難しいと思う。
いわば、名の残っていない人の方が欲を捨てているかもしれない。
本当の悟りを得た人の名前は残らないのかもしれない。そんな事を思ったり。
必要な分だけ働き、必要なだけ生きる
僕は、必要な分だけ働いて必要な分だけ生きていきたい。
間違っても見栄のために働いて
無限を求めて自然に抗うような事はしたくない。
余談:最近読んでる本
石田夏穂さんは我が友スミスが面白かったので買ってみたけど、一本目はいまいちしっくりこなかった。
しかし、文章は相変わらずおもしろいので良しとする。ちょいちょい笑わせてくるのがすごく良い。こんなに読んでいて楽しいと思う小説家はなかなか見つからない。