周りに流されるのは人間の性
金持ちになろうとしてる人と関わらない方がいい
承認を多く集めようとしてる人とも関わらない方がいい
人間は外的な刺激によって思考を振り回されてしまう生き物だ。
自制心どうこうの話ではなく、人間はそもそもそういう仕組になっている。
流されないのは優れているからではない
周りに流されない人もいる、僕もそうだと思っていたが違うみたいだ。
それに、周りに流されない人=優れていると一概には言えない。
極端に図太い精神を持つ人や、周りに対して鈍感な人、空気の読めない人のようなイレギュラーな気質を持っているなら流されないで済むかもしれない。
ただ、こういう人は他の社会生活に支障をきたしているパターンもゼロではない、優れているわけではなく「そういう気質」を持って生まれてきただけ。
これも一つの運である。
後々習得するのは難しい部類のものだと思う。
これも、持って生まれた才能のようなもので、場合によってはディスアドバンテージにもなり得るものだと思う。
前提として大多数の人間は周りに毒される事が一般的あるため、
「自分は周りに振り回される人間だ」と自覚して置くほうがいい と思う。
- 金持ちになろうとしてる人と一緒にいると、ラットレースに参加させられてしまう。
- 過剰な承認を求める人と一緒にいると「狂人達のオリンピック」に参加させられてしまう。
付き合う相手、話し相手、見た情報、読んだ本、
これらに影響を受けるという事は忘れてはいけない。
全く無くても、平気な人になりたい
金がなくても、承認が得られなくても、幸せでいられる人の方が
何かを持っている人より幸福な存在であると僕は思う。
「僕の価値観では」という話ではあるけど。
目標を達成してもゴールはズレていく
無くても平気な人になるのが僕の目標であると最近改めて思う。
追っているとずっと目標が前に前にとズレていく。
終わりは死ぬまで来ない。
終わらせられるのは唯一自分であり、自分で環境を整えるしかない。
僕は、
可能ならお金は、気楽に絵を描いたり、ものを作るための余裕が持てるだけあれば十分で
承認も、それらを楽しんでくれる人がわずかに入れば良いと思っている。
そのはずなんだけど、見失う事がある。
ズレるのは当然、ズレたら戻す。
自分が完璧のように思う必要はないし、見失ったり、外的要因で目標がズレたと感じたらその都度修正すればいいと思う。
修正できた回数の分だけ、戻るのが早くなるんじゃないだろうか
ズレたことを気づかないくらい戻るのが早くなれば、ある意味「振り回されない人」になれるのかもしれないけど
思考に気づく瞑想なんかと同じで、「全く振り回されない日」なんてのはきっと来ないんだろうなって思う。
1人で無人島にでも住んで、ネットも人との交流もまったく持たないとか、そんな選択をする以外はねぇ。