ラットレースから抜け出すってのは
お金や承認が主体の価値観から抜け出すってことで
働かない事ではないように思う。
僕が漫画を描くのが面倒だなと感じ始めたのは、FIREやらセミリタイアという話をするYoutuberを聞き始めた頃からだったろう
それまでは、お金を稼ぐという目的も含めてではあったけど、割と好きだった気がする。
面倒な事はたくさんあるし、大変だけど
「どうすれば漫画が面白くなるのか、どうすればいい絵が描けるのか」
そんな事を毎日考えていた。これは普通に面白かった。
それがどこかで、こういう働くばかりの人生はよくないのではと思うようになっていた。
数年前だ。
しらない間に、仕事があまり好きではなくなり。
早く仕事をやめる方法ばかり考えるようになっていた。
FIRE目標を達成したあとの虚無感の理由もこれだろうと思う。
働く事は別に悪い事ではない。嫌なことは極力減らしたいけど。
利己的に考えると、働かずに遊んで暮らせる方がいいと思う。
しかし、働くというのは自信の知識や技術、教養を磨く手段として優れた戦略にも思える。
ショーペンハウアーは、お金や所有物、承認などは他者との相対的は価値でしかないが、自分がどういう人間なのであるかは絶対的なものだと説いているとか。
技術や知識、表現というのは自分を形成するものだ。
それを磨く手段として「働く」というものを位置づけるならば
これほど価値のあるものは他にないように思う。
いくらお金を持っていたって、所詮はそれだけだ。
お金で人を笑わせる事はできない。
僕は人を笑わせたり、楽しませたりするのが好きだ。
人間は嫌いだけど、自分の表現に価値を感じてくれる人たちが自分の表現を必要してくれるなら
残りの人生はそういうものに捧げたい。
それは、お金を得る前からずっと自分が持っていたものだったんだと今更ながら気づいた。
そして、それは今や誰でも持つ事ができる。
Youtubeやブログがあるわけで誰でも表現者になれる。何も漫画を描いているからこんな事が言えるという特殊な話ではないと思う。
お金があれば。
と思っていたなにかは割とすでに持ってるものなのかもしれない。
僕はもっと漫画を描きたい。
大変だけど、死ぬ直前までめんどくせぇめんどくせぇって言いながら作品を描いているような
そんな人間でいたいと思った。
ダライ・ラマは真のエゴイストは他人のためになにかをする人だと説いたそうな。
利己的であればあるほどエゴは満たされないのだから当然だが、多くの人間はこれに逆境する。
本当の満足ってのは他者貢献にあるってのは本当なんだろうなぁと、思ったり。
ブログ書くのも面白い。読者のためにはなってないだろうけど。せめてもうちょっと読みやすくしたい。
まぁこんな事考えられるのもセミリタイアってのを知れたお陰なんだろうけどね。