「働く」というのは生活のためであるはずなんだけど
ではセミリタイアした後の「働く」ってのはどうあるのが理想なんだろう。
僕はどんなに資産が増えても、「月5万の労働」は維持しようと思ってセミリタイアを目指してきた。
精神肉体問わず、ある程度の労働は健康にプラスだと思うので、まぁそのくらいは働こうかという感じ。
でも実際セミリタイアしてみたら、月5万どころじゃない、というか前と対して変わらない労働を続けてる。
お金の不安は一生消えない
不安を原動力にしてると一生働き続ける事になる。
お金があろうがなかろうがそれは一緒。
最近もまた米銀行が倒産したし、金融不安が大きくなれば相場は崩れる。
セミリタイアで収入なしの状態で資産が減ると心配も大きくなるだろうし。
つまり、資産運用含め、社会の未来には確実性はないので、そら稼いでおいた方が安心感はある。
けど、そんな事いってたらキリがない。
これに対する対応策は「柔軟さ」を身につける事しかない。
「最悪金がなくなりそうになったら働けばいいや」の精神を身につける。
「他人よりもっと」もキリがない。
他人より欲しい、と比較してるとこれもマジできりがない。
最後はジェフベソスやイーロン・マスクらと戦う羽目になるだけで、結局キリがない。
頂点に上り詰めてもキリがない。「負けたくない」となるだけ。
それに、アレは表ランキングだから、アレで一位になってもおそらくまだ上がいたりするんだろうなーみたいな事を考え始めるとまたキリがない。
日本の総資産一位を目指すのだってキリがない。
県一位でもキリがない。
キリがない競争から抜けるためのセミリタイアなのに、他人と比較してたら思想がバッティングする。
清貧思考
お金を使わない事にも楽しみが見いだせるタイプの人間って多くはないのかもしれないけど
僕はそれに近くて、どかどか高いご飯買って食べるより
工夫して安く美味いものを食べる方がいいやんと思ってしまう。
1000円のものを食べるのですら「今日はこれをやったからなぁ」という何かの言い訳が必要になる。
そういう人間が金を求める理由は根本的には不安の解消以外無い。
人間は合理的ではない
と、色々わかっていても人間は合理的ないきものではないので
合理的な理由はむしろ、言い訳に聞こえてしまう。
自分にすらも。
欲に忠実であれば、お金は無尽蔵に必要になる。
しかし、多くの哲学や心理学が説いてる通り、欲を満たし続けていれば幸福になれるわけではない。
だから結局ある程度の合理性、言い訳が必要になってくる場面があって
それをうまくコントロールできないと
ずっと欲しい欲しいと、足りない足りないと、苦しい思いをする。
思い切って商業作家を引退して、ネットでぼんやり絵描く人にでもなろうかなぁ。
最悪Youtubeも気合入れてやれば収益化できそうだし、微量ながらアフィ収入もあるので、商業作家として締め切りに追われて、その時その時の衝動に従って絵を描けない状態から抜け出すってのもありかもしれない。
しかし、
そうなればそうなったでまたマンネリ化が始まる気がする。
結局条件じゃなくて、自分の今の精神状態というか気持ちの矛先が「問題解決すれば…」という事になってるのが問題なのかもしれない。
フォーカシングイリュージョンってやつ。
何をどうしたところで、性根がこれなんだからずっと変わらないのではないか。
セミリタイアしたからとかしてないとかも同じだったし、結局根本的なメンタルの問題なんだろう。