隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアや哲学などについて書いてます

当ブログはアフィリエイト広告を利用しています

ドーパミン中毒読んでる。

  • 苦痛と快楽はシーソーの関係
    • 片方を多く経験すれば片側はどんどん短くなっていく
    • より多く、長く、刺激の強いものが必要になる
  • 相反過程理論…感情や快楽は、片方に居続けるとコストが発生する
    • 逆の反応が強くなる
  • 鎮痛薬を常用すると痛みへの耐性が弱くなりあらゆる痛みを訴えるようになるが、やめると正常化してくる事が明らかになっている。(オピオイド鎮痛薬誘発性痛覚過敏)

デジタルドラッグ・SNS・お金・性欲・ニコチン・ギャンブル・カフェイン、あらゆるものに置き換えて考えていきたい。

個人的に、自分の人生を害していなければ問題ないと思う。

ただ自分の生活を客観視するのは難しいのだけど。

しかし、このシーソー関係が科学的に今後正しいとされ続けるのであれば

ヘレニズム時代の「快楽より平穏」的な哲学や、仏教やアリストテレスの中道や中庸、東洋思想の「足るを知る」的な価値観ってのは幸福にとって正しいといえるのかも。

もう少し噛み砕く。

  • 快楽を得れば良くなるのではなく、苦痛コストを強める
    • 苦痛から逃げは「前借り」のようなもの
  • 大事なのはシーソーのバランス(中道や知足)
  • 得ても幸せになれないならどうすればいいのか…?今を生きる的な事かな?

最終的にはやっぱ心理学的にも幸福の正しさは「今を生きる」的な事になるんだけど、この言葉は多用されすぎて少し、ふわふわした感じになってる気がするからそこは問題かなと思う。

まぁとにかく。

苦痛から逃げたり快楽を求めたりしても、それは幸福と言える状態とは程遠いのだという事はおおよそ間違いはなさそうだ。

体調とまだ生きるのか

体調は少し持ち直し、「まだ生きるのか」とか考え始めた。

死ぬのも生きるのも、どちらも厄介だ。

依存といえば、生への依存は死の恐怖を強める気がする。

「俺が…俺が先に死んでやるっ!」

アカギが、死に怯える銀次に言った言葉ですけど

最近この重みを感じるというか。

死後の世界を信じてるというより、「死ぬってことはあの人たちも経験した事なんだ」という安心感というかそういうものを感じる時がある。

先日より体調がすこぶる悪く、検査結果待ちなのだけど、悪すぎるので設備のある別の病院に行こうとすら考えてるレベルでよくない。

だけど、それは死ぬことが怖いからとは少し違っていて

今このまま死んだら迷惑をかけてしまうな、と思うからちゃんと調べる機会があるなら調べて対応できるなら対応したいという割とフラットな感覚から来ている。

ただ、それも少し考えて「まぁいいか、その時はその時」という楽観なのか悲観なのかわからない結論に至り始めて、行かずに終わる。

明日は日曜日だし、そもそも今日ももう診察時間まで余裕が無いので行かない。

鳥山先生の死

先に死んだ人がいるという安心感についての話に戻す。

割と僕のこの感覚を与えてくれたのは鳥山先生な気がする。

まだ先生の訃報を聞いてから一ヶ月も経っていない。

子供の頃に好きだったもの、そして隅っこ業界ながらも漫画家という職業について、先生の偉大さがわかって

それでも、そんな人でも死んでしまうんだという感覚。

これは、一つの安心を作ってくれたように思う。

先生はまだやりたい事もあっただろうから、残念だと思ったかもしれないけどねぇ。

僕もまだやりたいと思ってることはあると言えばあるし、死にたいわけでもないし

今死んだら後悔しないとかそんな事でもないだろうけど

死の恐怖が思っていたものと少し違うような

そんな感覚を得るきっかけになったのは確かだと思う。

まぁ、眼前に迫ってないからかもしれないけど。

どんな人でも100%死ぬ

養老先生の対談本にあったんだけど

「何かの病気を治しても、その後かならずどこかで100%死ぬからね」って話が当たり前なんだけど頭に残っている。

今、僕は体調不良を抱えてて、これはちょっとやばそうだなという感覚の中にいるけど

これを乗り越えたとて、恐れ早かれいつかは死ぬのだ。

5年伸びても、10年伸びても

それで何かが変わるわけではない。

いつかは必ず死ぬんだから

長く生きる=幸福ってのは

この社会における価値観であって、ならば早く死ぬような環境で生きた人はみな不幸だったのかという疑問を真剣に考えない人たちが作った浅い価値観だとすら感じる。

みんなそれぞれだ。

それぞれ。

長さじゃない結局、死ぬ時何を思うかなんじゃないか。

僕は、死ぬ時どうしよう。

昔の事でも思い出して死ぬのがいいかな

恥をかいた事を嘆きながら、でも元気に生きてたと思いながら死ぬのもいい

代わり映えしない環境の中で、ただモクモクと漫画を描いた日々を思い出して死ぬのもいい

アカギじゃないが、痛いのや苦しいのはゴメンだが、それもその瞬間にならないとわからない。

どうにも、なるようにならんもんだな。人間の一生は。

最期の最期は所詮、運任せか。

著名人の死没年齢から、残りの人生を考える

体調悪いな、と思ってたら心臓か血管かはっきりしないけど、ちょっと異変が見つかった。

改めて、残りの人生を考える。

衝撃的だった人の死や尊敬する人の享年をスプレッドシートでまとめて見たりしてた。

自分の残りの人生は死没した人たちとくらべて、中央値で19年だった。

高畠エナガ先生は僕よりもう10歳も若くなくなってるし、

カフカが40歳でしんでるからあと2年だったり、

レヴィ・ストロースが100歳まで生きてたり

キム・ジョンギは47歳で、藤原啓治さん55歳、鶴ひろみさんは57歳。

最近だと山崎元さんは65歳、鳥山明先生は68歳。

名前(敬称略) 死没 享年 自分(38)との比較
カート・コバーン 1994-04-05 27歳
高畠エナガ 2017-08-21 28歳
フランツ・カフカ 1924-06-03 40歳 2年
川上とも子 2011-06-09 41歳 3年
キム・ジョンギ 2022-10-03 47歳 9年
さくらももこ 2018-08-15 53歳 15年
三浦建太郎 2021-05-06 54歳 16年
藤原啓治 2020-04-12 55歳 17年
鶴ひろみ 2017-11-16 57歳 19年
ウィトゲンシュタイン 1951-04-29 62歳 24年
山崎元 2024-01-01 65歳 27年
鳥山明 2024-03-01 68歳 30年
志村けん 2020-03-29 70歳 32年
水木しげる 2015-11-30 93歳 55年
レヴィ=ストロース 2009-10-30 100歳 62年

死を想えは簡単ではない。

「死を想え」ってのは、よくよく考えるべき事だとは思うが、簡単ではない。

実際、「あーこれは死ぬのかもな」と想う瞬間が来て初めて実際に考えることが出来るんじゃないかと想う。

僕は今回見つかったものは、まだはっきりしていないからわからないけど

最悪死ぬかもしれないし、健康な人にも出るタイプの不整脈でしたってオチかもしれない。

まだわからないけど、どちらにせよ

人間はいつかかならず100%死ぬ。

もし、「自分はいつまで生きるかわからないから」と何か無理をしている事だったり

100歳以上生きる未来、という本来ここに無いものについて考えたり、そのために時間を使ったり体力や精神をすり減らしたり

そんなことするのは無駄だと思わされる瞬間がやってくるかもしれないから、眼の前の事だけに集中して楽しく生きていけと、

少し前の自分に言いたい。

いや、わかってはいたけど、「そうは言っても」と考えてしまうのが人間で、情けない話だよね。

でも人間はいつか死ぬからね。

病気じゃなくても、うっかり事故で死ぬ事だってあるんだから。

後何年生きるかわからないけど、何年も生きられないかもしれないって事も考えないといけない。

スプシで著名人の死と自分の残り年齢を比較する、妙なシートを作成しながら、そんな事を思った。

金を使い切る必要はない。

常日頃から言ってるけど、金を使い切らずともたくさんの経験は詰めると思ってるし楽しい事をするのにお金を使う必要はない。

でも、無用に稼ぐために時間や体力を使うのは違うと改めて思えた。

後何年生きるかは、自分勝手な表ではあるけど、この表の中央値をベースに考えて生きれば良いかな。

19年か。思ったより短いのか、長いのか、よくわからないけど。

長生きリスクへの不安は少し減った気がする。

ガンの人のインタビューで言ってた「将来の心配はしなくなったから、それは一つのメリットかも」って。

本心かはわからないけど、なんとなくわからんでもない気がする。

僕たちはその不安のためにどれだけの時間と体力、大事なものをダメにしながら生きてるんだろうって。

幸福なんてよくわかんない定義に縋るな

今日は早めに仕事を切り上げて、お笑いを見てた。

休んだっていいんだよ。別に。

他人より収入が低く立って、貯蓄が少なくたっていいんだよ。

有名じゃなくても、結果が出せなくてもいいんだよ。

どーせみんな等しくいつかは死んでしまう。

幸福なんてよくわからない定義を求める必要もないんじゃないか。

自分でその定義を作ってしまおう。

僕は人生の時間で「どれだけの時間笑ったか」を指針にする事にする。

それ以外は全部知らねぇ。

副業ゆっくりYoutubeの攻略法について

ツイートに書いてる通りなんだけど。

最近更新してない副業Youtube の話
・単価は1000再生につき150-500(平均250少し下あたり)
・総集編等の長い動画が単価を引き上げてる

絵と比較すると半分以下の時間コスパだからやる気低
絵も最近ろくに描いてないけど。
ネットのせいで脳が壊れてますねぇ

真面目にやってるわけではなく、知人が「金がねぇ」ってうるせぇので

一つ手伝えるものを作るかと思って作ったものの、結局やりやがらなかったんで、僕が暇な時にぼけっとやってる感じです。

正直これやるなら、Twitterアフィリエイトの方が楽に稼げますんで、副業でYoutubeはおすすめしません。

Youtube戦略について

長い動画を作る

以上の理由から、別におすすめしないけど、わかったことまとめていきます。

そのチャンネルの企画にもよるんだけど

  • どれだけ頻繁に総集編を作っていくか

が結構攻略法になると思います。

理由は2つ

  • Youtubeは長い動画をレコメンドしてくれやすい⇨集客になる
  • 単価が高い⇨収入増

この2つです。

単純に最初から長いだけの動画を作っても伸びないので、総集編を目標に小さくトライアンドエラーを繰り返していくのがいいんじゃないかと思ってますね。

多様な動画を作る

あと、これも知人にアドバイスしたけど実行してくれない事なんですが、

  • 多様な動画を作ること

も大事だと思います。入口が広がります。

ゲームを例にあげると、チャンネルテーマは固定しつつ、色んなゲームをやるって感じですね。

一つのゲームを長くやっても新規流入が頭打ちになるので、

たとえば「シミュレーション」とか「サバイバル」のジャンルをチャンネルの中心に添えたら、いろんなゲームタイトル、新作や旧作色々とにかく早いスパンで回す、と。

多作思考的な行動が大事かと思います。

特に新作は流入見込めるので、発売されたら翌日にはアップするくらいの速度感が必要かと

そういう意味ではゲーム実況は割とハードですよ。

ゆっくりゲーム実況はほとんど仕事です

うちのチャンネルはまとめ系なんだけど、上で話した知人がゲーム実況やってます。

某ジャンルのトップクラスに売れてる人が収益報告してまして

500-800万の収入を叩き出してるんですが、その人、トップクラスなんですよね。

任天堂系やスマホ系は調べてないけど、そっちはもっと稼げてそうです。

この辺は自分が狙ったジャンル次第だとは思うんですが、

基本的に仕事並の作業量になるので金目当てで始めると心折れると思います。

「ゲームをすることも、実況を作る事も好き」って思えて初めて成り立つ感じです。

漫画より割に合わないと思うのは、ずっとゲームプレイとアイデア出しのループなんで、「ラジオ聴きながらやるかー」みたいな所謂雑タスクがなくて、ずっと頭使ってる状態なんですよね。

なかなか精神的にもハードだと思います。

やるならまとめ系がいいんじゃないでしょうか。

僕のチャンネルは、ChatGPTにGASとマクロ作ってもらって作業してるので、一本作るのにかかる時間は1時間程度です。10分~15分の動画でね。

これで特定のテーマのものが、8本~15本くらい集まったら総集編を作る感じでやっとります。

頭働く人はもっと自動化してそうだなと思うんですが、作業効率あげるより委託を検討した方がいいなと思ってる昨今です。

何しろ、僕があんまりやりたくない感じなので…。

匿名掲示板って結構罵詈雑言がとびかってて疲れるんですよね。

本当かはわからんのでうが、脳は、自分が悪口を言っても、他人の悪口を聞かされても、ストレスがかかるらしいので、あんまそういうの見たくないなと思って。

Youtubeは再生数だけで稼ぐのは厳しい

ちなみに、Youtubeの再生数だけで食っていこうみたいなのはやめた方がよろしかなと思っています。

理由は、

  • 今後の単価がようわからん。不確定すぎる
  • ライバルが増えすぎてる
  • 客単価がアホほど低い

特に3つ目なんですけど、一定数のファンがつけば、それなりに収入になるってのが当たり前のクリエイター業界で

Youtubeは死ぬほど単価が低いんですよね。

サブスクプラン展開して登録してもらえたらいいんですけどね。

そもそもゆっくりはアイドル的な売り方は難しいですからね。メンバーシップ登録なんてされるのかって謎があります。

解説系だとグッズ展開とかしてるところもあるので、アイドル的な売り方はある意味できそうですけどね。

ゲーム実況だと自分でオリジナル立ち絵描いてるとかでも無い限り、展開し辛いでしょうねぇ。

暇つぶし程度にやって小銭稼ぐ感じでやるのが一番なのかなと思ってますよ。

漫画描きと一緒で、水商売ですけど、こっちは単価がえげつなく低いですからね。

売れてない漫画家だって原稿一本描けば10数万の原稿料はもらえるのに、こっちは一年やっても数万とかだったりしますからね。

単価の低さがかなりネックなんで、先に「売る商品を持っててそれを売るための宣伝としてやる」っての以外は気晴らし程度の運用を推奨します。

同じ雑誌で描いてた漫画家+イラストレーターさんもゲームやったり作業配信やったりしてますけど、「広告とかの収益は計算にいれてない。その程度しかもらえてない」って言ってましたからね。

やっぱ、イラストも携わった本を売るとか、クラファン系のサイトでの収益がメインになってくるみたいです。

僕は商業誌しかやってないんで、そろそろ本業の方でもうちょっとネット活動がんばろうかなと思ってますけど

だからYoutubeやってる場合じゃないんだけどね。

これアップする方にも若干の中毒性を付与してるから厄介よなぁ。短時間で作れてしまうのもまた厄介だよなぁと。漫画一本かくとなると3週間~1ヶ月くらい必要になりますからね…。

やめよやめよ

瞑想しなくても死を想えば、悟れる

瞑想しなくても

本当に「死ぬ」って事を理解したら悟れると思ってる。

悟りってものの定義によるけど、

ココで述べてる悟りは魔法みたいな話じゃなくて以下のようなもの。

  • 些末な事に悩まされる、過剰に怯えず無謀にならず、今出来ることを淡々とやれるメンタリティ

色々哲学読んできたけど「今を生きられれば良し」って事に繋がってる気がするんですよね。

実存主義も構造主義も、世界の性質や人の性質を説明してるけど、「じゃあどうすればいいの?」って事の答えとしては

僕がたどり着くのはいつも同じで「今出来ることをやる」にしかたどり着かない。

構造主義を学んでからは更にそれに尽きると思うようになった。

構造主義

雑な解説になるけど、

構造主義とは…基盤の構造を明らかにして対象を説明するというもので。つまりは、人は構造の奴隷であるという事実を解き明かしたもの

構造とは…(人をベースに考える場合)属する社会の環境や周りの人々等々その人を構成する外部的な要素から、内部的な要素(才能や感性等)を含んだもの。

人は言葉によって考えるので、言葉が違えば考え方も変わるみたいな話も含まれています。英語にはあるけど日本語には無い表現とかそういう話。

つまり、その世界において「よし」とされているものに縛られてしまうのは、人間には抗いがたいものだという事になります。

たとえば、お金至上主義みたいな世界に生まれると、お金を求めるようになる。

資本主義や先進国はコレに近い世界観が一部形成されている。

最近はスマホの普及で「承認欲求至上主義」的な所も出てきている気がする。

そして僕らはこれに容易に抵抗できない。つまり、人は構造の奴隷である

しかし死ねば無意味

まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一も相添うことあるべからず

これは蓮如という坊さんの遺した言葉だとか。

本当に死ぬ時というのは、頼りにしていた妻子も金も、死んじゃったらあの世には持っていけないんすよね~みたいな事ですね。

これは金も承認も同じ。

最近は「思い出こそ本当の価値がある」って主張もある

けど、これも一つの構造的要因で発生した価値観だと思います。

仮に思い出が幸福の正解なら、ピダハン族のように過去未来について深く捉えないとされている民族は不幸なのでしょうか?

たしかに思い出は酔える。酔えるけどそれまで。

本当に死ぬというのはそういったものも捨てるという事だから。

そこには「ただ死ぬ」という事実しか存在しない。

二人称の死と一人称の死

養老先生曰く、人間の死というもので向き合わされている死は、二人称の死であるという事らしいです。

近親者や友人、恩師などなんらかの関わりのある人の死の事ですね。鳥山明先生みたいな有名人の死もその人への関心次第では、二人称の死になりますよね。

三人称の死はただの数字になる。

一人称の死は養老先生はエピクロスと似た思想を持っているようで「自分が死んだら自分は存在しないんだから関係なし」みたいな感じだそう。

一人称の死はそのくらいフランクなものとして無視してしまうのが丁度いいのかもしれない。

死を真面目にとらえて今を生きるか

どうせ死んだら全部パーなんだから好きな事しとけと捉えるか

どちらでもいいんだけど

結局たどり着くのは「今自分がやれることをやる」という事になる。

SNSのように「やらされている」のはゴメンなんですよね。ほんとに。

やらされてる感覚に陥る時ってのは「金のため」「承認のため」「恐怖心から」「社会的責任のため」等々、あると思うんだけど

欲に動かされる状態だけは避けたいよなと思う次第。

なので仏教的な雰囲気になるけど、何を読もうが学ぼうが最後には「執着を捨てて今を生きろ」って所に行き着くんですよね。**

「死ねばそんな欲求、満たすことなんて無意味なんだから」と思えるかどうかは人それぞれだけど、僕はLikeの数やフォロワ数に時間、つまりは命を使うのは嫌だなと思って

笑わせたいとか、喜ばせたいとか、そういう利他的な動機の先に、結果的に数字に繋がってるのならまだいいんじゃないかなと思う次第です。

余談:大江英樹さんの動画

この半年後に亡くなられています。

人はいつ亡くなるかわからないから、何を求めて生きるのかってところに構造的要因を無視することは難しくとも、せめて少しでも自分で考えて決断したい。

死ぬという事実は、構造的呪縛から少しくらいは開放してくれるんじゃないかと思うわけです。

しらんけど。

株式投資できない人はアセットの性質を理解してない可能性

株式は枚数が固定~減少に傾きやすいもので

法定通貨、たとえば日本円は枚数が増加に傾きやすい。

相対的に価値が減るものに対して上がるものを比べると、株式の価値があがるのは当然なんだけど

投資できない人のイメージだとたぶん

「円とドルを比べてどっちがあがるか」みたいな感覚で考えてるんじゃないかと思ったりした。

  • 法定通貨(日本円):基本的には総量が増える設計
  • 株:新規発行はあるっちゃあるが、業績があがれば自社株買いなどで総量が減る方向に進むようにできてる。

この辺はシーゲル教授のグラフが有名ですね。

あれ対数グラフなんで視覚的に伸び率小さく見積もってる人がおおそうだけど、とんでもない差になってますからね。

まぁ期間も200年っていう長期過ぎてそんな差がついたところで役に立たんのだけど。

せいぜい僕らが投資できる期間では現在価値の10倍くらいがいいところでしょう。

ただ、法定通貨は10分の一に下落してるよーってのもあのグラフには記されているので、つまりは差はさらに開く。

株は短期だと絶対ではないんだけど、長期だと価値が増える。

ただ、これを「ドル円の差」みたいな同じ性質のものに差がでていると勘違いしてる人が多いから「株は怖い」みたいになるんじゃないかと思って。

とはいえ、過去は未来を保証するものではないので

資本主義の大改定で株だけ消失するなんてことが無いとは言えないんですけど。

だからこそアセットは分散がいいですね。

株以外のアセットやるなら働いたほうが早い

とはいえ、僕は株以外のアセットほとんどもってなくて

金を100万くらいとクリプトが資産の5~10%くらい。

後は日本国債、これはほとんど日本円と変わらないですからね。

不動産は手間だし、時計とか芸術品は管理も大変だし置くスペースもないので。

ってことで、個人的には株以外のアセットをいちいち探すくらいなら

価値保全のために金や国債を保有しながら仕事してたほうがいいのかなと思う次第。

実際、みんなどうなんすかね。ポートフォリオ。

インデックス投資家は割とシンプルに株と国債みたいな人多い感じだけど

1億や2億くらいまでならそれで良くても

そこ越えてくると何か考えないといけないのかもしれませんねー

ま、仮にそんな金額に達した所で「面倒そう」ってインデックスと国債で運用してそうですけど。

【読んだ本】ほったらかし投資術 第三版

僕が読んだのは確か2版だったはず…。って事で第三版を読み返す。

折込付録つきでいい本だった。

ただ、山崎さんが書いたであろう文章、読みづらすぎてワロタ。

山崎さんは好きなんだけど、文章難し+ややこしすぎますってって感じで読んでました。

よかった所を箇条書きすると

  • リスクプレミアムについてしっかり学ぶ機会を得られた
  • 長期・分散・低コストを頭に叩き込めた
  • リスクをもっと取っても問題ないかもな、と思えた。結局必要になったら取り崩せばいいだけだし。

その辺。

リスクプレミアムについては僕がまったく正しく理解できていなかったと反省させられました。

まぁまだしっかり理解できてるとは言えないけど、

無リスク資産金利と変動にさらされるリスク資産の期待利回りの差の事だってのはぼんやり理解していたけど、1株あたりの株価からリスクプレミアムを計算して理論株価を算出する方法があるなんて事すら知らなかったし。

2版にも書いてたのかもしらんが、投資について初めて読んだ本でこんな事書かれててもわかるわけがなくて抜け落ちてたんだと思う。

まぁ何にしても、つまらなかったけど、内容はすごくいい本だった。

つまらなかったってのはあ、8割以上しってる事で読み飛ばしも挟みながら読んだので「読書」を楽しめてたのかと言われるとなんかあんまりという感じだったという意味です。

インデックスは分散されてるから売買を考えなくて良いってホント楽でいいっすね。

本書にも書かれてあるけど、人生を支えるためにやる投資で、爪に火を灯すような節制をしてFIREを目指したり、水瀬さんのように個別株の変動が気になって本業に支障をきたしたりってのは違うと思う。

FIREに至っては、結局お金に振り回されてるじゃんって思ってしまうしね。

無理な節約について

個人的には「本人が楽しめてるなら他人を害さない限りなにやってもOK」ってスタンスを持ちたいと常日頃から考えている人間なので、節約も楽しめていればOKだと思います。

でもFIRE界隈って、インフルエンサーが煽るから

「会社辞めたい」が選考しすぎて、目的と手段がわやくちゃになってる人がもしかしたらいるんじゃないかと思ったんですよね。

ストレスで自殺する人がいるように、ストレスで非合理的な行動を取ってしまう事って普通にあることだと思うので。

そういう意味でも、節制をする事によって失うかもしれないものについても考えるべきだと思いました。

人的資本(自分自身を資本とする考え、稼ぐ力のみならずだと思うけど)や、社会資本(人付き合いとか)には形成するために時間やお金がかかります。

僕は社会的資本少ない人間だけど、これはお金を節約したんじゃなくてそういう気質だからであって、だから別に過剰に後悔したりはしていない。

でもやっぱ考えるわけです「あの時ああしてれば別の人生もあったかもな」って。

それは後悔というより誰しも考える、エンタメ的なたらればだと思うんですけど

こういうのが「お金のため」って意識があると後悔になると思います。

フォーカシングイリュージョンって認知バイアスについては何度も書きましたが、思い込みなんですよね。

サイコロジーオブマネーにもありましたが「何事も思ったほど良くもないし、悪くもない」もんなんです。

だから、過剰に今を犠牲にするのはあまりお薦めはできないなと。

それをネタに漫画や本を描くとか、そういう原動力に変える目的があるならある意味ありかもしれませんけどね。

節約本とか。

仕事を楽しむためにも長期分散投資を

まぁ、だから僕は自営業なりなんなり手に職つけてしまうほうが結局はいいと思ってるんだけど。

仕事ってやり方次第では楽しいんですよ。

それが強いられてしまうものになるから、「自分のコントロール外のもの」という感覚が強くなって不幸になるのであって、自分で課題を設定クリアするってのは原理的にはゲームと同じなので、楽しくないわけがないんですよね。原理的には。

これがお金のためとか、命令されたからとなるからつまらなくなる。

なかなか難しいかもしれないけど、せめてお金のために働かなきゃいけない状況からは楽になった方がいい。

そのためにも「長期・分散・低コスト」を頭に叩き込んで、保有し続けたいっすね。

コロナショックについて

コロナショックについても書かれてました。「上げにも下げにも付き合う」っての良いなと思いましたわ。

リスクプレミアムを理解した上でこの文章を読むと、「あぁなるほど」と腑に落ちます。

リスクはとったまま、恐怖を仕事の原動力にするってのは?

んで、山崎さんはリスク多めにとっていいぞ派の人であることは、ネット記事でも理解していましたが

僕はカウチポテトにしたいなぁという意識が少しあって、リスク低めに取りたい派の人間なんですよね。

でも、現在株高円安でやたらリスク資産が大きくなってしまっている。

だからどうしたもんかと考えて、新NISA口座に移すタイミングで少し多めに取り崩したりしてたんです。

でも、もうどうでもいいやと思えてきた。

落ちても、取り崩す日とバッティングしてれば取り崩せばいいだけだしと。

なんかこれはこれで後悔しそうだけど、仕事があるうちは平気だろうと。

現金と変動国債事態は比率は低くとも、生活費としては十分すぎる量あるので、なんやかやで暴落乗り切るくらいの余裕はあるんじゃないかと。

何にしても未来はわからんのでね。

リバランスするより、このリスクへのうっすらある恐怖心を利用して、仕事頑張って、ストック収入増やすみたいな活動に従事する方がいいのかなと思ったりしました。

ま、でもお金の不安は認知機能は判断力を鈍化させるらしいんで、リスクは下げた方がいいかもしらんが。

やっぱ迷う。が、迷ったり暴落したらこの本を読み直すなり、Youtuberの「大丈夫やで」でも心の支えにしてればなんとかなるか、とか適当にとらえておきますかね…。

まとめ

うんこ行きたいのでまとめます。

面白みはないがいい本でした。

他の本やYoutubeで学習してる人にとっては面白みはないと思います。ただ、握力強めるために本棚に置いておこうと思える本。

というか、ゴリゴリ初心者向けなのか、玄人向けなのか、振れ幅が大きくてしんどい所はありましたね。

面白い投資の本が読みたいなら、サイコロジーオブマネーの方がおすすめかな。

あ、新NISAの折込付録よかったです。「できるだけ早く、さっさと埋めてずっともっとけ」みたいな当たり前の事しか書いてないけど、小さいペラ紙にまとめられてて良かった。

今後投資本を読むか

うんこ行ってきたので続きを書きます。

ルネ岩田さんが、「月に一冊はお金の本を読む」っていってるんで、僕も読もうかなーと思いサイコロジーオブマネーを買って「おもろ!」となったわけです。

んで、最初に読んだ本の新版だし、ヤマザキさんの本だしと思って買ったものの、思ったより面白くなかったんですよね。(面白くないについては前述した意味で)

養老先生の言葉を借りるなら、お金の本には「花鳥風月がない」

「あーおもしろ」って思えるものを読む方が心の健康にはいいかなと。

小説や対談本、新書とか知らない事を教えてくれる本、を読む方がいいかなと、思うのでした。

暴落時のための安心材料になるような本は持っておきたいなと思ってるんですけどね、そういう意味では、ほったらかし投資術一冊ではちょっと物足りないかもなんで、まぁたまに気が向いたらチラホラ読もうかな。

なんかおすすめの暴落時の心の支えになりそうな本があったら教えてくだせ。

↓今読んでる養老先生の本。これは素直に発見が多くて面白いです。

マクロ要因で賃上げしても無駄

マクロ要因で賃上げしても

インフレ対策にしかならない。

極端な話をするとその賃上げは消費で相殺されてしまう。

厳密には、税金や社会保険料(今は少子高齢化で特にこっちの影響がでかい)で消える。

ではどうするのか。

対策は3つ

  • 1:金融資本増:r>gが資本主義の基本なので、資本収益率を上げる:株式等の購入
  • 2:人的資本増:業績の向上による賃上げを目指す:転職や自営ならアイデア出して実行
  • 3:支出を下げる:節約節制を楽しむ

    対策1 資本収益率をあげる

トマ・ピケティの研究通りr>gが資本主義の基本なので

一般的な労働収入増加を期待してもろくなことがない。

世界のインフレについていけません。

ただ、日本では、セーフティネットもあるので、食えなくなったらそれの世話になれば死ぬ事は無いです。

なので、そっちでOKなら別に株やらなんやらの別アセットに分散しなくても大丈夫。

対策2 人的資本を高める

2-30代がメインターゲットだけど

40代ならまだギリギリ、50-60でも新しいことやる意識があるなら、ありだと思う。

年齢を重ねれば重ねるほど、金銭のための無理はしないという条件は意識した方がいいかも。

無理をすれば死亡確率もあげてしまいかねないので、楽しみながら稼がないと、

死んだらなんのためにやってんのかわかんなくなりますし。

対策3 節約節制を楽しむ

強い。

これが出来るやつは強い。

僕もそこまでじゃないけど、割と好きな方。

高価なものを食べるより、

自分が工夫して美味しいものを作れるようになった方が総合的に得だと思って

レンジと炊飯器で料理作るようになった。まぁ、食費が段違いで浮きましたわ。

精神修養として、エゴイズムとどうバランスをとるかという観点でも、節約や節制は大事です。

欲はキリがない。

大谷選手の通訳がなんかやらかしたみたいですが、彼の推定年収は日本円で4000万以上あったんだとか。

欲を追いかけ始めるとキリがない。

それは最低限を一歩でも越えた時点でみんな同じ。

節制力は、満足度の向上と比例していると思うので、お金のためならず幸福度とも強い相関があると感じています。

まとめ

資産形成の手順としては

  • 節約節制力を身に着けながら
  • 人的資本を最大化する努力をしつつ
  • ドルコストでいいからインデックスを買え

って感じですかね。

親のメンタルがおかしいと子のメンタルもおかしくなる

これを読んで思ったこと。

概要:親の精神が歪んでおり、その影響を受け精神を病んでしまったであろう20代女性の投稿。

shinitori.net

親のメンタル、または性格、間違いを認める心等、人としての基盤が弱いと

子のメンタルにも悪影響を与える。

メンタル対策

メンタルはどう対策するのがベストなのか。

僕は、もともとメンタル弱者で今も完璧とは言えないような状態ではあるけど効果があったものをまとめていく。

  • 運動、インターバルトレーニング(速歩き程度でもOK)
    • 座りすぎない。
  • 情報遮断/ネット断/SNS断ち(特にTwitter)
    • 上の代わり:読書/音読(セロトニンが出るらしい)
  • 筆記開示/瞑想/深呼吸/数分目を閉じる(視覚は情報量が多い)
  • 哲学を学ぶ
    • 精神的苦痛の多くが自分が属する社会が作り出した幻想である事を理解するのに役立つ。
  • 利他的な活動をする

いらない情報を仕入れず、やるべきことを小さく狭くする事。

多くのことをすべきだとか、多くの情報を仕入れるべきというのは現代社会という構造によって発生した無為な価値観であると思う。

一説によれば、現代人は平安時代の人の一生分くらいの情報を一日で仕入れているとかなんとか言われてるが、そのくらい現代は情報が多すぎる。

いらない事を知るからパンクする。

パンクするとコントロールが効かなくなる。

コントロール出来る範囲に自分を留める事。

「自分がコントロール出来る事に集中せよ」はストア哲学だが

現代人は自分をコントロールできなくなるくらいに情報過多に陥っているように感じる。

情けは人の為ならず

情けは人の為ならずとは、いい言葉だと思う。

利他性を磨くためにもこの日本の言葉を胸に刻んでおきたい。

誰かに優しくすることは、相手のためだけではない。

自分のためでもあるのだと。

Twitterをやっているとついつい世の中やおかしな事をしている人への文句をつぶやきそうになる。

しかし、そんなことをしても、誰も得をしないどころか、自分も他人も害されるのだ。

情けは人の為ならず。

せめて、利他的なアウトプットをしていきたい。

構造主義:触れる「単語」で価値観が変わる

ソシュールの言語学を発端に、レヴィ・ストロースがウンタラカンタラやって広めた構造主義

sisterという単語があるが、自分の年齢の上か下かを区別していない。

しかし、日本語では「女兄弟」とはわざわざ言わず、「姉」や「妹」を使う。

英語圏では兄弟の年齢の上下への頓着が薄く、日本語文化圏ではそれを区別しておいた方がいいからこうなっているのだとか

僕たち人間は、こういった構造を背負って生きている。

他にも、日本人の「牛肉」に対しての英語圏の「ロース」「カルビ」みたいなもんらしい、肉の部位はよくわかってない。

今でこそ分けるが、概ね重要性が低いとか頓着がないものの言語的分類は小さくなる。

「ヤバい」で包括された世界

良いも悪いも「ヤバい」である世界と

それが細かく分類された世界に上下関係があるわけではない。

レヴィ・ストロースが説いた通り、その文化背景の構造の元でものを見ているに過ぎないので

未開拓な世界の人も、先進国の人も、そこに優劣があるわけではない。

思えば、「ヤバい」の世界というのは余計な解像度が存在していないから、ある意味ややこしい時代においては「良い世界」といえるのかもしれない。

言語能力が収入に影響を与えるのは事実だが、収入の多寡で良し悪しが決まるというのも一つの構造であって、それは絶対的なものではない。

タワマンに住めば満足するという思い込みと同じであり、

収入は生活できるだけあれば問題無いのだが、

そこで優劣を競うからゴールのないレースに参加させられる事になるのだから。

必要のない価値観を仕入れてしまうインターネット

SNS等の発展により、勉強になることは増えた

しかし、その反対に不要な情報が入ってくるようにもなった

そして頭がこんがらがる。

価値観が歪む。

人間は自発的に考えているように見えて、外発的なものの影響を受けて行動しているに過ぎない。

受動意識仮説という仮説があるが、意識は反射(のようなもの)の後に起こっているという仮説だ。

人間は行動した後に行動した理由を意識として解釈している。

これは脳科学分野、物理のでも証明するデータがいくつかある。

確定情報ではないが、これが事実ならば、人間はそれこそ機械のようなものであるという事になる。

僕は割と支持している。

とはいえ、無気力的に支持しているのではなく、そういう仕方無さを受け入れなければどうにもならない事が多すぎるからだ。

少し話がずれた。

自分を構造の奴隷にしない方法は、常に自分で構造を作り出さねばならない。

環境セッティング

とはいっても、難しい話ではなく

人間は忘れるものだという事を理解して、思い出すための環境セッティングをするだけ。

  • 自分がやりたい事
  • 自分の価値観

そういうものを整理して、壁にでも貼り付けておけ。

そうしなければ、外部の情報に目移りして、目標を見失い、チグハグな状態になってしまう。

何事も限定すれば幸福になれる ー ショーペンハウアー

人間には、そんな他人の価値観を叶えるための奴隷になる程、多くの時間は存在しない。

人は必ず死ぬ。

お金や承認のためではなく

自分が今日やりたい事に集中するために生きなければならない。

例え、人が機械のような存在であったとしても、その機械の中に満足を生み出す事ができるならば、真実なんてものはどうでもいい。

自分が満足できないならば、仮に真実であったとしても信じる必要はないとすら思う。

自分が向き合いたいものとだけ向き合って生きる。

嫌なことをするなとか、挑戦するなとかそういう事ではなく。

外部の刺激に反応して、やりたくもない事を、やるべき事にする必要ないと言うこと。

別に1億2億なくたって、BMWを買わなくても、タワマンや一戸建てにすまなくても、彼女がいなくても、友達がいなくても、

自分が満足していれば、それでいいんじゃないだろうか。

お金のリスクと職業道楽

お金でお金を増やそうとするとリスクが増えてストレスが増える。

株高で資産が肥大している現在リスク認識が甘いかもと感じてきた。

仕事を楽しむ方法を考えたほうが良いと思った。

三木清の人生論ノート曰く「生活と娯楽を切り離すような思考が奇妙な二重生活を作り上げている」と説かれていた。

著者曰く、「生活を楽しむことを知らねばならぬ」らしい。

生活の捉え方は色々あるが

お金を稼ぐというのも生活だ。これを娯楽と近づけた時にこそ本当にお金の問題が解決する気がする。

本多静六の言う「職業道楽」ってやつだろう。

僕はお金がほしいのではなく、眼の前の事をどう楽しむかを欲していた。

そしてそれを壊したのは間違いなく、「お金があれば自由が手に入る」というフォーカシングイリュージョンであって

眼の前の事を楽しむという事については、お金が無い頃から常に目の前にあったのだと思う。

元の生活に戻せばいいだけ。

お金の先にあると思っているものは、割とくだらないし、楽しむこととは関係がない。

不安も不確実性まで考えると消えることはない。

節約料理を楽しむように、稼ぐことを愉しめば良いだけ。

幸い、お金を使わなければ楽しくない人間ではないから、本来お金がなくても気楽でいて良いはずなんだ。

何をどう楽しむのか、それを自分の人生の上で組み立てるのに、お金は補助輪程度にしかならない。

賃金があがっても、先進国は豊かになれない

先進国ってのは、財布は豊かになってるのかもしれないけど

住む人々の心は、貧しく脆くなっているようだ。

しかし最近は、経済的な意味でも豊かになれないと思えてきた。

賃上げは、ほとんどインフレ補正程度にしかならない

僕の母親が、「昔は売店のアイスは10円くらいだった」と話していたのを聞いたことがある。

今やその辺のお店で買えるアイスといえば、観光地だと500円600円したりする。市販のものでも最低100円前後はする。

では10倍豊かになったのだろうか?もちろん、そんなことはない。

たしかに、衛生面やインフラ、便利なものもたくさん増えた。

衛生面もインフラも、大事な事だから否定はしないけど。

経済的に豊かになったというならば、日本人の働く量は10分の一に減っただろうか?いや半分、三分の一くらいは減ったか?

へってないよね。当たり前だけど。

賃金があがってもインフレに合わせて上がっているだけなんだから。

労働に頼るとずっと水準は変わらないんだろう。

そう思うと改めて資産を産む資産を買うってのは大事だと思うが、今回はその話したくないので割愛。

時間も減ってる

ネットができて便利になった。

効率もよくなった。

でも今度は、家でも働くようになった。

もしかすると、豊かになった反面、

可処分時間が減ってるかもね。

というかSNSに時間を費やし、私を見てくれと、どこの誰ともわからない相手に必死になってしまっているし、お金を目的にせずとも承認を求めて時間を浪費しているかも。

まぁ、これはブログ書いてる時点で自分もそうなのかもしらんが。(我に返った。スター機能外そう)

経済的自由ってなに?

経済的自由ってなんなんだろう。

お金がたくさんあることじゃなくて

時間が自由になるだけのお金があることなんじゃないだろうか?

無限のお金や物は必要ない。

自分の時間や選択が自由になるだけのお金があればいい。

その敷居を下げる事も経済的自由にとっては大事なことだから、節約、節制は馬鹿にできない。

先日、下のような動画あがっていた。

サイコロジーオブマネーの著者の動画だ。

要約すると「BMWはブランド価値であって見せびらかすために金を払う事になっている。TOYOTAでええやん。」みたいな話。

節約節制は「見栄からの脱却」がスタート地点になる。

そしてこれは死ぬまで続く葛藤だ。

僕は、釈迦が完全無欠超人のような悟りには至っていないだろう、と思っている。理由は、承認欲求はずっと残っていたように見えるからだ。

説法活動とかやってたらしいし。つまりは自分の哲学を知ってほしかったのではないかと。

それは、今で言えば、ブロガーやYoutuberがやってるような事と同じで

「その考えいいですね」と言ってほしかったのではないかと

だから、承認欲求を捨てるのはそれほどに難しいと思う。

いわば、名の残っていない人の方が欲を捨てているかもしれない

本当の悟りを得た人の名前は残らないのかもしれない。そんな事を思ったり。

必要な分だけ働き、必要なだけ生きる

僕は、必要な分だけ働いて必要な分だけ生きていきたい。

間違っても見栄のために働いて

無限を求めて自然に抗うような事はしたくない。

余談:最近読んでる本

石田夏穂さんは我が友スミスが面白かったので買ってみたけど、一本目はいまいちしっくりこなかった。

しかし、文章は相変わらずおもしろいので良しとする。ちょいちょい笑わせてくるのがすごく良い。こんなに読んでいて楽しいと思う小説家はなかなか見つからない。

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