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構造主義:触れる「単語」で価値観が変わる

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ソシュールの言語学を発端に、レヴィ・ストロースがウンタラカンタラやって広めた構造主義

sisterという単語があるが、自分の年齢の上か下かを区別していない。

しかし、日本語では「女兄弟」とはわざわざ言わず、「姉」や「妹」を使う。

英語圏では兄弟の年齢の上下への頓着が薄く、日本語文化圏ではそれを区別しておいた方がいいからこうなっているのだとか

僕たち人間は、こういった構造を背負って生きている。

他にも、日本人の「牛肉」に対しての英語圏の「ロース」「カルビ」みたいなもんらしい、肉の部位はよくわかってない。

今でこそ分けるが、概ね重要性が低いとか頓着がないものの言語的分類は小さくなる。

「ヤバい」で包括された世界

良いも悪いも「ヤバい」である世界と

それが細かく分類された世界に上下関係があるわけではない。

レヴィ・ストロースが説いた通り、その文化背景の構造の元でものを見ているに過ぎないので

未開拓な世界の人も、先進国の人も、そこに優劣があるわけではない。

思えば、「ヤバい」の世界というのは余計な解像度が存在していないから、ある意味ややこしい時代においては「良い世界」といえるのかもしれない。

言語能力が収入に影響を与えるのは事実だが、収入の多寡で良し悪しが決まるというのも一つの構造であって、それは絶対的なものではない。

タワマンに住めば満足するという思い込みと同じであり、

収入は生活できるだけあれば問題無いのだが、

そこで優劣を競うからゴールのないレースに参加させられる事になるのだから。

必要のない価値観を仕入れてしまうインターネット

SNS等の発展により、勉強になることは増えた

しかし、その反対に不要な情報が入ってくるようにもなった

そして頭がこんがらがる。

価値観が歪む。

人間は自発的に考えているように見えて、外発的なものの影響を受けて行動しているに過ぎない。

受動意識仮説という仮説があるが、意識は反射(のようなもの)の後に起こっているという仮説だ。

人間は行動した後に行動した理由を意識として解釈している。

これは脳科学分野、物理のでも証明するデータがいくつかある。

確定情報ではないが、これが事実ならば、人間はそれこそ機械のようなものであるという事になる。

僕は割と支持している。

とはいえ、無気力的に支持しているのではなく、そういう仕方無さを受け入れなければどうにもならない事が多すぎるからだ。

少し話がずれた。

自分を構造の奴隷にしない方法は、常に自分で構造を作り出さねばならない。

環境セッティング

とはいっても、難しい話ではなく

人間は忘れるものだという事を理解して、思い出すための環境セッティングをするだけ。

  • 自分がやりたい事
  • 自分の価値観

そういうものを整理して、壁にでも貼り付けておけ。

そうしなければ、外部の情報に目移りして、目標を見失い、チグハグな状態になってしまう。

何事も限定すれば幸福になれる ー ショーペンハウアー

人間には、そんな他人の価値観を叶えるための奴隷になる程、多くの時間は存在しない。

人は必ず死ぬ。

お金や承認のためではなく

自分が今日やりたい事に集中するために生きなければならない。

例え、人が機械のような存在であったとしても、その機械の中に満足を生み出す事ができるならば、真実なんてものはどうでもいい。

自分が満足できないならば、仮に真実であったとしても信じる必要はないとすら思う。

自分が向き合いたいものとだけ向き合って生きる。

嫌なことをするなとか、挑戦するなとかそういう事ではなく。

外部の刺激に反応して、やりたくもない事を、やるべき事にする必要ないと言うこと。

別に1億2億なくたって、BMWを買わなくても、タワマンや一戸建てにすまなくても、彼女がいなくても、友達がいなくても、

自分が満足していれば、それでいいんじゃないだろうか。

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