隠れて生きよ

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアや東洋思想中心に哲学などについて書いてます

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FIRE論:リタイア生活は、心が支えきれない。

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今年入った辺りから、かなーり仕事の売上も落ち込んできているので

そろそろ本格的な引退を考えたりしてる。

というか、次の原稿のネタはまってくれと伝えていて、メインでやってた出版とのやりとりはすでに停止している。何も描ける気がしないし。

そういうわけで、売上の落ち込みと、作品制作への悩みでちょっと「お金と仕事」というカテゴリの面で、精神的にしんどい状態になっている。

取り崩し生活なんてしたくない。

お金はそれなりに溜まってきたので、FIREと言えばFIREが可能な状態なのかもしれない。

適当な見積もりでも、鳥山先生の年齢までは生きられそうではある。

ただ、僕は何かにおびえている。

お金というか、仕事がうまくいかないことに怯えているような気がする。

これは名誉欲なんだろうか、少し違うか?

自分でもぶっちゃけよくわからない。

わからないんだけど、

「お金があるが何も出来ない状態」にはなりたくないと思っているみたいだ。

いわゆる、ニートの才能が無いというやつで、何かしていたいんだけど、その能力の低さから大したことも出来ない事への自己嫌悪。憤り、怯え。そういったものがあるような気がする。

FIREを目指していた時期はたしかにあったけど、それはお金の問題から開放されて自堕落に生きたいのではなくて

お金の心配をしすぎずに仕事に、創作に打ち込みたいという事だったように思う。

貧乏でも音楽がやれればいい

「貧乏でも音楽がやれればいい」

僕は高校の頃、バンドをやっていてよくこんな事を言っていた事を今更思い出す。

貧困生活で別にいいから、音楽がやりたかった。

今でも音楽は好きだけど、創作や演奏はしていない。

人は変わるものだ。

だけど、根本的なところはあまり変わってない。

世間の風潮に流されて、「お金あれば働かなくていいじゃん」とは慣れなかったみたいだ。

働くの定義は一旦おいておくとしても

僕は創作がやりたくて、やりたいんだけど、能力が低い故にどうしていけばいいかわからなくなる事ばかりの毎日を送っている。

仕事の納期があれば強制的に手を動かしていれば良いのだけど、売上が落ちている事を理由に「一旦待って」と自分で線を引いてしまったことで

次、どうスタートを切ればいいかわからなくなってしまったみたいだ。

お金は生活を支えるが心を支えないんだろう

やはり、改めて思うけど

お金は生活を支えてくれるが、本質的には心を支えてくれない。

それに、未来はわからないから、完全な安心感も得られない。

そもそも、鳥山先生の年齢まで生きられればもう十分すぎると思うが、その半分でも別に問題ないし、なんなら5年後に死んでも良いとすら思う。

それでも、なにかこう、得体のしれない不安感は残る。

その上、心はいつまでも安定しないみたいだ。

心を支えるのは釈迦やショーペンハウアーの言う通り「なにかに没頭している時」なんだろうと思う。

その没頭に対しての一番の問題は、自己嫌悪と自己欺瞞、自信の無さなのだろう。

これがあるから「俺が描いても…」といった疑念が残る。

その疑念が没頭を阻害している。

そしてその疑念が具現化したのが売上の低迷だろう。

こういうところ、やはりまだ他人依存の状態なのだろうけど

仕事柄そういう側面があるのは仕方ないが

そういう、承認的な要素を無視して創作を続けるには一体どうしたらいいのか。

答えは出ていない。

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