隠れて生きよ

漫画描きが、漫画や絵の事、作品レビュー、セミリタイアや東洋思想中心に哲学などについて書いてます

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幸福なやつなんていない

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幸福なやつなんていない。

例えば、今すべてを持っている人がいたとする

しかしその人間がこの先一生、すべての不幸から逃れて生きることができるわけではない。

インフルエンサーや自己啓発作家が「幸福にはこれが必要です」みたいな話をするが

そういったものを持たずとも幸せな人がいるように

そういったものを持っていても不幸な人間もいる。

外的なあれこれで測る事ができる幸福というのは、あくまでも客観的な「幸福そうだな」ということでしかない。

また、そういったものを基準に「自分はあれをもっていないから不幸だな」という自己評価によって不幸であるという基準が発生したりもする。

しかし

本質的な幸福というのは、状況ではなく状態であると思う。

最悪、両手足を縛られて自由を奪われても、本人の心が幸福であれば幸福である。

そんな状況で幸福を感じられるやつが居るのかは知らないけれど。

自分を幸福にするために周りを固める事もできるし、精神を鍛える事でそれを乗り越える事もできるのだろう。

僕はどっちも出来ないが。

延々と続く不幸の中で、死ぬ事の恐怖を乗り越えられず自殺もできないから、ただその中で生きるしかないだけの人間。

仮に僕と同じ状況で生きている人間がいたとして、それでも幸福な人もいるかもしれない。

だが、僕はそいつじゃないから、そうは慣れない。

ただそれだけの話し。

真に幸福なやつは外的なアレコレによって客観的に図れるものではない。

主観的なものでしかなく

また、「幸福ですか?」と聞かれて「はい」と応える性格の人間すべてが本当に幸福であるという保証がどこにあるのか。

幸福研究は客観性を欠いているんじゃないのか。

本当に幸福な人間ってのは、「幸福ですか?」と問われて、「はい」と応える人間ようななんだろうか?

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