Audibleでこれ聞いてる。
問題は状況よりも「不安グセ」
以前利他について書いた事が何度かあったし、寄付も継続してるけど、
ぶっちゃけ落ち込む時は落ち込む。
正直な話、結婚願望は未だに無い。無いし人が近くにいるのは大変だと感じてしまうし、最近だと親と飯食いにいくのすら億劫だしやだなーって思ってたくらい。
でも、独身ってのは人生を引き伸ばしてるだけに感じてしまう。
ただ、それは独身っていうかボクの悲観的思考のせいなんだろうなと思えてもきた。
例えば、猫を飼えば「猫を育てる」という使命が出来る、出来るがそれは別にやらなくても猫はなんやかやで生きていくだろう。
最近、色々育ててる植物も同じ。というか生物以上に植物は勝手に生きていくだろうし。
でも、色々難癖をつけてはいるが、実子もそうだ。「社会的風潮」がそうさせていないだけで、本当の親がいなくても子供生きていく。
むしろそういう概念があるから、本当の親がいないと生きづらいと思うような子が出ているだけで、別にいなくとも問題はないはずだ。
これは、生物の問題というより社会が作り出した問題だと思う。
つまり、
結婚してるしてない、子供いるいない、以前に、ボクのネガティブ、不安思考の問題なんだろうと思う。
そんなことを考えながら生きていた数日
↑の本を聞いていて改めて「利他しか無いな」と思えてきた。
そして「利他は気持ちの解決にしかならないな」とも。
それとともに「結局気の持ちよう」なんだなと
当たり前だけど。そんなことを思ったり。
ボクに誰を助けられるのか
しかしボクに助ける力なんてほとんど無いと思ってしまう。
本業は売れないエロ漫画描きだし。
絵は描けるし漫画は描けるけど、ちゃんとした、というか一般的なものを描いた事がない。
というか描けない。
漫画を使ってエッセイライクの一般漫画みたいなのなの描くことも出来ない。
何も出来ない気がする。
この「何も出来ない感」が自分の心を歪めている気がする。
何かをしなければ、何も出来ない感からは脱することはできないし。
何かをした所で究極的に怯えてる、「独りで物理的な病気や障害を抱える不安」が消えるわけでもない。
ただ、何もしないとメンタルはずるずる悪くなっていく一方だ。
よく言われてるメンタルケアの、瞑想やら運動やらは基礎は作るが、対処療法にしかなっていない気がする。
自分が誰かを、何かを支える行動を取らないと、この感覚は消えない気がする。
楽には慣れない気がする。