サイレントテロしようと思って無くても物価高すぎてサイレントテロにならざるを得ない
— inoinu (@inoue_inuo) 2023年9月27日
インボイスも始まるししゃあない
清貧も楽しめば別に問題なし。贅沢はたまにだから喜びが増す。
バッタを求めてアフリカいった人の書籍にラマダン後の食事の旨さが書かれてあった。
文句言うのは疲れるし、楽しも
サイレントテロはしようと思ってしてるわけではない。
せざるを得ないからしてるだけや。
金はあるが、使ってたら無くなるので使えない。
年金等の福祉は持続不可能にしか思えない。
実質賃金低下の中税金はあがる。物価はあがる。
非サイレントテロ勢には3種類いる。
- その日暮らしOKマン
- 高収入or億単位の資産持ち
- 臨機応変に生きる適応能力が強い人
ボクはどれにも属さないのでぼけーっと仕事して生きていけるレベルを維持するために、サイレントテロ的な生き方しか出来ないってだけで、別に臨んでやってるわけではない。
漫画を描いて生活をするようになったのも「消去法」だったし
ほとんど消去法で生きてる。
元々生きるのが得意ではないから、消去法としてなんとか生きられる選択をしている。
お金に関しても同じだ。
余ったら投資してなるべく働かないようにしているのは、人間が苦手であることと、他人に生活を決められるのも嫌だし、お金に苦労もしたくないからだ。
臨機応変に生きられる人なら適当に暮らしていても平気なんだろうと思うと、
やはり問題は、お金ではない気がする。
気質の問題なんだろう。
消去法的な選択肢しか出来ない気質だからそうしてるだけ。
その原因が本質的に気質によるものか、それとも外部環境によるものか、経済的によるものかは人それぞれだろうけど。
本当の自由は自制の上で成立するものだと知れば、さほど苦しくはない。むしろ程よい自制心をつける事に喜びも感じる。
断食の後の飯が美味いのと同じ。
少しの我慢はちょうどいい。
強制されることではないが、そう思って生きられれば楽になる。