隠れて生きよ ~いのいぬ.com~

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孤独:楽しさの正体ってほとんど好奇心なのでは

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楽しさの正体ってほとんど好奇心なのでは

色んな種類のものがあると思うけど

孤独な人間が持つことが出来る楽しさの正体はおおよそ「好奇心」に集約される気がする。

孤独でない人は、人との関わり合いによって生じる楽しさが追加されるが、それも長く続けばマンネリ化するので結局好奇心的な要素は根底に必要なんじゃないかと思ったりもする。

好奇心以外のものがあるとすれば、「何もしない事を許容する力」かもしれない。

暇になると不満が沸いてくるように、多くの場合人は暇に耐えられない。

最近、ボクも副業やったりして暇つぶしをしてたけど、結局アホくさくなってやめようと考えるも、しかし暇を潰す他のアレコレが必要になってくるのは目に見えてるしどうしたものかと考えたりしていた。

それを払拭するには好奇心をもって、生きるしかなさそうだと感じた次第。

好奇心が純粋な好奇心として機能しなくなる原因は「お金と承認」だと思う。

「これをやればお金がもうかるか or 他人に認められるか」という所が純粋な好奇心によるモチベーションを歪めさせて、世の中に対する影響力で判断してしまう。

しかし、これは頭で考えている上では過去のデータに基づく判断しか出来ず、仮にお金や承認を得たとしても、他人の二番煎じになる。

結果を得る事に注力するなら、結局それらに注力しない事の方が、得られるものも多くなるのかもしれない。

利益を求めれば純粋な好奇心からの活動とは違った「狙った」ものになるから、行動におけるモチベーションも結果アリきになって、他者依存的な自尊心や物質的欲求に支配された行動になる。

本来的な好奇心による行動を繰り返す事ができれば、人間はそれだけで暇を感じることがなくなるだろうし楽しく生きられるのではないか。

でも、それを阻害するのは社会の一員であろうとすることに固執しすぎているからではないか。

社会を、精神的に無視するくらいの、いや、社会に属さない自分を許容する精神性を、社会の評価によって自尊心を支えるような愚行をやめることこそが

生きることを純粋に楽しむ手段なのかもしれない。

最近は全部数字で評価される時代だから、難しいっちゃ難しいが。

よくよく考えればなんの評価も気にせずに続いてるのは、このクソブログとクロッキーくらいかもしれない。

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