面白く生きるってどういう事なのか、ずっとわからなかった。
最近答えが見えてきた気がする。
根っからの厭世的なネガティブ人間なので、そこを変える事はできないのだけど
変える方法があるとすれば、知識と人だと思った。
知識
今僕は英語を勉強している。
そんで、ちょっと英語の単語を覚えるだけでは英語の世界が広がっても日本語の世界が広がりづらいなと思った。
英語の小説やWebを読めるようになれば情報の幅は広がるからそれはそれでいい。
だけど、日本語の世界で変化がない。
そこで、虫や花、犬の犬種を覚えたりしてみようとリスト化してるサイトを探したりしていた。
イーロン・マスクは幼少期に百科事典を読み切ったとかって話をどこかで読んだことがある。
ソクラテス、ラッセル、タモリや、「銅の剣しか~」でも語られてたけど、教養は最高の娯楽だ。
教養というのは、堅苦しいものではなく、単純に知識量/幅だと思う。
釣りに詳しい人が魚や釣り道具でワクワクできるように
車に詳しい人が珍しい車にワクワクできるように
そういう世界の広がり方が生きる事を楽しくしてくれたりする「教養」って事なんじゃないかと思う。
花の名前をしってる人は季節の移り変わりで散歩するだけで感動に出会えるだろう。
単純に知識の幅が興味を膨らませてくれるのではないだろうかと思ったという話。
人
次に人。
他人、友人や知人、恋人や家族の有無という意味もあるが、これは言わずもがな。僕は相変わらず孤独な仙人生活してるけど。
他人からみた、自分の面白さも大事だと思う。
だからこれも結局知識量に依存するように思う。
その本人が面白い存在であれば、つまりは興味の幅や語彙や身振り含めた表現の豊かさなどを持っていれば周りにも人ができる。
無味乾燥的な思考では面白さを感じてもらえない。
知識の前に立つ「人」は、肉親や幼馴染や学生時代の友人くらいなもので、結局人は人の中身に面白さを感じるのだから
「知識=その人の面白さ」は「人=他人との繋がり形成」の前に有るのではないだろうか。
自分が面白ければ1人でも面白いし
自分が面白ければ人に興味をもってもらいやすくなる、そんな話。
それでも僕は1人を選びそうだけど。
例えばゲーム実況
ごくごく狭い領域の話をしてみようか。
例えば、ゲーム実況を観ているとする、ナゼそのゲームを観ているのかと言えば
そのゲームに関する興味をもっているからであって、その興味をもっているゲームに興味をもっている配信者を、「同じものに興味がある人」として認識出来るから観ているのではないだろうか。
そこから、「あの人がやるなら」という形で別のゲームに興味をもったりもするし、そもそも一度見る事でコンテンツレコメンド機能が新しい知識の幅を与えてくれたりもする。
ゲーム実況の是非はどうでもよくて、
少しのきっかけがアレば、興味はどんどん横に広がっていく。
お金が絡むと好奇心の矛先が歪む、が
しかしナゼこの当たり前の好奇心が大人になると止まってしまうのか。
これは恐らく資本主義の罠なんじゃないかと思うのだけど、お金が絡むからだ。
有益であるかどうかで情報の取捨選択をする。僕も20代の頃はビジネス本ばかり読んでいたのでわかる。
しかし
逆に言えば、知識の幅が広い方が結果的に面白い人間になれるので、お金も舞い込んで来やすい。
一節によれば小説を読む人の方がノンフィクション読者より語彙表現が多用で結果的に金持ちになるんじゃねぇのなんて研究もあるらしい。*1
ナゼビジネス本を読むのかは具体的で明確な答えが返ってくるからなのだろうけど
その答えがそもそも間違っている可能性がある。最近でも(意志力は使うと低下する、とかグリッドやり抜く力!、とか認知機能改善に運動が!)とかちょっとそれ怪しくねぇかという追跡研究が出てきた。というか前の2つはほとんど死に体である。
棒メンタリストの人も声高に話してたやつだが、今となっては無意味な知識になった。
使える知識というのは、小手先ではなく、もっと練り上がったものであって、それには少なからず感情が伴う必要があるのではないかと最近思う。
つまり、遠回りに見えるけど小説読んだり、百科事典で知っている花の種類を増やす事の方がなんやかやで自分の好奇心を刺激してくれて、それが仕事や人間関係を豊かにしてくれるんじゃないだろうかって
割りと、抽象的だけど、「知識幅を広げて好奇心を膨らませたり、表現の幅を広げましょうね」というこれこそが「具体的で明確な答え」足りうるのではないかと、そんな事を思った。
実際は知らんけどな!
まとめる
- 知識興味の幅や深さのある人は、1人でも楽しいし、人も集まってきやすくなるよなぁ
みたいな話。1人でも楽しいってのが良いよなとやっぱ思うわけでして、僕は興味の幅が狭い人生を送ってきたので、知識の幅に意識を向けて生きたいなと思う所存。
まぁ、なんというか、過去を共有しあえる仲間が居ない人こそ、知識が新しいつながりの武器になるんじゃないかとも思ったりした。
過去を共有できる人(幼馴染や学生時代の友人、家族等々)は前述の通り知識の前に成り立つものなので、今更どうにもならないからね。
余談:英語多読の話
女子便所に男の子がいるでよ!は飽きてしまった。
アメリカの小学生の話、日本の小学生の話でも読むのキツそうだなぁと思う感情移入し辛いジャンルだったので無理でした。
放置してたDarrenShan読んでるけど、これは面白げ。前半は1年以上前に読んで挫折したままだったのであやふやだけど、読み始めるとぼんやりは覚えてたのでそのまま続きから読んでる。
PercyJacksonは全部読めたし、元々小説にハマったのも十二国記からだったので、意外とファンタジー好きなのかもしれないと思い始める。この頃。