昨日ゲームしてしまったので、改めてパレオさんのこれを読んでた。
「短絡的な享楽より、長く使えるスキルや知識で遊ぶのが結局は楽しいってお前らわかってるやろがい」って話。
Duolingoをちびちびやってるだけで、最近はAnkiを放ったらかしにしてるのでAnkiやってたらまぁなんか面白かったなぁ。
英語は相変わらず、ぼんやり読める程度のスキルしかついてないけど。
遊ぶならNetflixで英語字幕つけてちみちみドラマ見てる方がいいかいねぇ。
短絡的なものはいつもやったあと「何やってたんや」って思うんだけど
感覚的には正しかったんだろうな。
これを感じなかった時代って学生とか学がなかった頃で、学ぶ楽しさを理解してなかったというか。スキルがついて出来ることが増える楽しさもあまり知らなかったと言うか。
体験してなかったから、「短絡的なものは楽しい」で終わってたけど「この時間アレに使ってたらもっとオモロイことになったかも」って思えるようになったって事なんだろうなと思う。
まぁ、ゲームもストーリーがあったり、比較的普遍的なスキルがつくもの(将棋とか麻雀とか)なら依存に至らない程度なら「長期的」の方に入るのかもしらんけど。
細かい事はおいておいて、今は英語やクロッキーってやりたい事があるんだから、そっちを楽しみたい。
余談 仕事ノルマ:やった感の大事さ。
仕事のノルマを整理した。今までは下書きばーっ!ペン入ればー!仕上げばー!ってやってたんだけど。
「やった感、終わった感」も大事だろうって事で、ペン入れと仕上げを一緒にやる事にして、1P1P仕上げていくことにした。
やり遂げた感覚、みたいなのが無いから英語がいつも半端になるんだろうなと思う。
終末効果だっけ、あの終わりそうになった時に勢いつくやつ、アレがないから。
英語、もうちょい工夫できんかなぁ、面白いのは面白いんだけど、量が足りないから成長が遅い。