コーヒーに山椒を少し振りかけると旨いです。最近なんでも山椒ふりかけてます。山椒はJapanese pepperって言うらしい。
英語学習について調べてると「wast of time」という単語に割とぶつかる。
DuolingoやAnkiについて調べてると「こんなのやっても時間の無駄だよ」とかもしくは逆のパターン「時間の無駄!?」みたいなコピーライティング手法として見かける。
しかし
時間の無駄ってなんなんだろう。
僕は今回改めて、語学学習は最強脳トレの一つだなと思って継続することにした。
いわゆる学習的、知的な脳トレでは最強部類だと思う。
運動や楽器も脳トレ研究で成果を上げてるし、社会的コミュニケーション(これは僕がもっとも無いやつ)もある程度成果を出してるらしい。
絵、アートもぼちぼち見かけるけどあんまり見かけないので脳トレだと思っては描いてない。というか書き慣れすぎると効果は薄いと思う。なんでもそうだけど。慣れたらそこからの成長はコスパは悪いからその目的として使うなら余程学習意識を持たなければならないだろう。
話ズレたけど、
脳トレとして捉えるなら、無駄もクソもない。
もちろん出来ることを繰り返していたらそれは何においても無駄だとは思う。
しかし、どんな語学アプリだろうが、筋トレだろうが、自分の能力+1くらいの事を続けていれば、スキルそのものはもちろん、脳にも負荷がかかって成長のきっかけになるんじゃないだろうか。
「時間の無駄」というのは、あくまでもその先の何か別の結果を求めている事による理屈なんじゃないだろうか。
英語で言えば「読める、話せる」はもちろん、仕事の成果⇛その先のお金、話せることでの承認欲求を満たせるとかそういうもののために学習をする人にとっては、時間の無駄という表現は確かに価値をもつのかもしれない。
でも、行為そのものの楽しさや行為そのものによる眼の前の成果を気にしている人間にとっては、時間の無駄という概念そのものが何か形而上学的にすら感じる。
実存哲学的に言えばそもそも人間の存在が無意味なんだから、無駄といえば無駄だろうし。
無駄をどう主観的に楽しむかが人間の処世術であって、他人やまたは対外的な結果によって自分の活動指針を決める事が、そもそもの無駄なんじゃないだろうか。
セミリタイアブログでこんな日記書いてる時点で、完全に時間の無駄に対する意識、つまりは対外的な評価に対する意識が抜け落ちてる人間だからこそ言える事なのかもしれないけど。
小難しく描いたけど
つまり
「自分が面白ければよくね?
という話である。
もちろん、面白いというのは「成長」も含まれる。成長を実感すること程面白い事はなかなか無いくらい、これは面白いものだ。
だけど、一足飛びに行ける物事なんて、世の中なかなかない。
どんなものも毎日日々の一歩一歩の積み重ねでしかない。
急がば回れ。自分が出来ないことにチャレンジしていれば、無駄な事なんて一つもないように思う。
効率主義が結果的に生きることをあまり楽しくなくさせているんじゃないだろうか。と、最近思ったりもしてるおじさんであった。