僕が思っているより
— inoinu@隠れて生きよ (@inoue_inuo) 2023年12月31日
みんなそれほど
幸せではないのかもしれない。
「みんなそんなに幸せじゃないんじゃないのか?」という反証出来ない傲慢な問いを立てる。
「幸せです」というヤツがこんな所に現れたら、その次点で僕はこう反論する。
「ネットのこんな偏屈なブログにやってきて「幸せです」なんて書き込むやつが幸せなわけがない」と。故にコレは反証が出来ない問いである。
事実かどうかは知らないけど、僕は僕が不幸であるという自負を持って生きているし
絶望していると思う。
しかし、他の人たちとの比較の中でしかその不幸は成立しない。
仮にみんなそんなに幸せではないのであれば、僕の絶望は軽くなる。
軽くなるが、絶望が消えるわけでもない。
ただ、多少なりとも楽になるために
「幸せと不幸」の隔たりを消すために手法の一つとして「そんなにみんな幸せではないんじゃないのか?」と考えてみた。
知恵袋
なんか同じようなこと質問してる人がいた。
本当は幸せじゃないですよね?みんな。 - ネットでは…、幸せの振りを出来る... - Yahoo!知恵袋
上を見上げれば欲望は果てしない。 下を見下せば己の優越感にしたり酔いしれる。
比べるから辛いというのはよく考えてきた事だけど、正直な話しっくり着てない。
根本的な何かが足りていない。
比べることをやめたとて、絶望は消えないように感じる。
思考を止めるしかない。
瞑想するとか、何かに集中するとか、そういう事でしか僕は生きるための精神を保てない。
病気で一週間もダラダラと寝込んで思ったが
死ぬのはやっぱりそれなりに怖い。
ただ、死んだら救われるという感覚も同時にあった
しかし、死んだらどうなるのかもわからないし、やっぱり怖いから死にたいとは思わない
ただ、それ以上に生きる事の苦痛にいつまで耐えられるかどうかわからない。
次の処世術を探す。
金は役にたたなかった。
僕は人付き合いがダメなので、そこは諦めていただけど、やっぱりそっちが大事だったのかも。
それを立て直すべきか、それともなんというか開き直ってしまうか
どうするかは決めきれてないけど。
処世術の矛先を変える必要があると感じる。
お金やネットのような虚無活動をやめて別の事を。