終わりがないコンテンツの怖さを再確認した
— inoinu (@inoue_inuo) 2023年6月3日
Youtubeをやめて、Twitterもほとんど見ずに生活してると、めちゃくちゃ時間が余る。
仕事⇛雑用⇛仕事のルーティン繰り返して、規定の区間で規定ノルマをクリアしたら英語小説読んでよし、みたいにしてるけど
部屋は片付くわ、小説はぼんぼこ進むわで
ネットサーフの量が激減している
ネット量が激減している。
今までもなんどもやめようとして、ぶっちゃけやめきれなかったけど、今度は突然止まった。
「目標よりルーティンやんか」って気づきがでかかったかも。
何か大きな変化とか結果とか、そういうものを欲してるとやっぱ未来に生きてる状態になってたんだろうなと。
過去や未来に意識が向いてるとよくないってのは、わかってはいたけど、実感としては薄かった。
結局、お金稼ぐとか、仕事で成功するとか、その目標の規模は「生活を守るレベル」って小さい目標だったけど、FIRE周りのうさんくささがその目標も結局まやかしだと気づかせてくれたりしてて
つまるところ、人間の「楽しい」ってなんなんだろうって考えるきっかけが出来たり、
隣の芝生は青く見える現象は所詮バイアスで、それは「未来がこうなったらいいな」もバイアスで、「昔はよかったな」もバイアスなんだってわかってきて
だんだん、何か自分の中で変化が出来てきた。
結局自分にとって面白い事ってもう持ってるものなのかも
結局自分にとって一番面白いのって、
「絵描きながらラジオでも聞いてる時じゃないのか?」「本読んでる時なんじゃないのか?」「模写してる時なんじゃないのか?」っていう、
年収200万からスタートしたこの糞漫画家業の原点ですでに持っていたソレが幸せだと気付かされるという。
わかってはいたけど、お金も仕事の成果も、フォロワー数も関係なくて
「今」に自分の意識が向いてる瞬間が一番楽しくて、
それをルーティンとしてこなしていくことが、凡庸だけど平穏な幸せなんだとしたら
僕にはもうソレ以上のものは必要ないんだと思ったら
ネットを見る時間が突然減った。
たぶん、追い求める必要がなくなったからだと思う。
ネットをスクロールする作業はドーパミン分泌を刺激するから、他の事が手につかない人間になりがちだって話もあるし
相互作用も働いたのか、淡々と仕事して、淡々と本読んで、筋トレしてって生活になってきた。
ネットにはなにもないとわかっていても、スクロールして何か満たされた気になろうとする自分がいたことはわかっていたけど
それが突然止まった。
まぁまた戻るかもしれないけど、別に外にこれ以上の何かを求めなくても、自分はソレを持ってるんだってわかったらなんかスッキリした感じ。
お金と脚を交換できるか。
これはさ、たぶん誰でもそうなんだよなぁと思って。
「金あげるから脚1本頂戴」って言われても首を縦に振る人がおそらくほとんど居ないように
持ってるものの大切さって、本当に失う瞬間までわからないし
あるデータによると、失ったとしても人は慣れるんだって話もあるから、結局その場で幸せになれる人は慣れてしまう。
無いものを嘆き、もっと得たいと渇望すれば、どんなに多くを持っていても、人はいくらでも不幸になれる。
それが少しわかった気がした。
後悔も、希望も全部バイアスなんだって話は、きっと、真実なんだろう。