疑問がある。
自殺防止キャンペーン的なあれこれで自殺は減っているのだろうか。
自殺したい人間と、生きたい人間には根本的に違いがある。
根本的に苦しい「生きる」という行為を続けていきたいかどうかだ。
自殺したい人間は、苦痛から開放されるなら別に生きていなくても良いと考えているし
生きたい人間は、生きたいから苦痛から開放されなくても頑張れる。
何がどうだから生きたいとか、何がどうだから死にたいのではなく。
そもそも先に死にたいとか生きたいがあるんじゃなかろうかとか、そんな事を思ったりする。シランケド。
僕も昔は希死念慮が強かった。
ただ自殺企図に至った事はない。
希死念慮については今でもたまに湧く。湧くが、認知行動療法等を学んだお陰で割となんとかなっている。
何よりも長くともせいぜいあと5年くらいで死ぬつもりで生きてるから、さして不安になることもない。
将来の事なんて考える意味もない。5年後くらいなら別に何を心配しろというのか謎なくらい短い将来だ。
これは別に逃げてるわけではない。
そもそも10年後20年後なんて考えたところでなんの意味があるんだろう。
それこそ、病気や事故で死んでるかもしれないのに、そのために思考や時間という重要なリソース削って心配しても意味がないだろう。
適当でいいんだ。
どうせ死ぬんだから。
話がずれたけど、、そうだな。
生きたい人は10年後20年後を明るく想像するんだろう。
死にたい人は、10年後20年後を暗く想像するんだろう。
だから噛み合わないんじゃないだろうか。
ダニエル・ギルバート氏の著書に確かこんな事が書いてあった。
意訳だけど。
「人間の未来予想はあたらない。良いことを想像する時良いことばかり想像して、悪いことを想像する時悪いことばかり想像するからだ。良いことに付随して起きるまたはその後起きる悪いことは想像しないし逆もまた然り。だから人間の未来予想は当たらない」
と。
生きたい人が生きて、「死んでおいたらよかった」と思う未来がくるかもしれないし。
死にたい人が生きて「生きててよかった」と思う未来がくるかもしれない。
まぁ。僕から言わせれば死ねば、悪いことは起こらないから100%今より不幸にはならないわけで、正解っちゃ正解だと思うけど
こんな事を書くと怒られそうだが。死を幸福としないならば、人間は総じて最後は不幸になるという事になる。その論理はニヒリズムすぎやしないかと思うわけで。
まぁとにかく、人の一生は一切皆苦。
基本は苦しいもの。それを一時しのぎ的に楽しいで上塗りしているに過ぎない。
それも飽きれば退屈という苦痛を生む。
結局は苦しい。
死んだもの勝ちだが、まぁ急ぐこともない。
本当に死にたくなるまで適当にこなすのも悪くないんじゃないかと思って
僕はまだ、だらだらと生きている。