どうせ死ぬし
悩もうが悩まなかろうがどうせ死ぬし。
お金があってもなくても、死ぬ。
学歴があってもなくても死ぬ。
いい仕事についててもついてなくても死ぬ。
友達がいてもいなくても死ぬ。
人気者もそうじゃない人も、死ぬ。
悪い人間でも、いい人間でも死ぬ。
自分も含めて、みんな死ぬ。
死ぬ。
その事実は変えられない。
病気も100%防げない。
いつかは殺してくれと願うくらいの苦しみに襲われるかもしれない。
生まれてこない方が正解なのだ。
しかし、生まれてしまったのだから死を選択できない。功利主義的な側面のある反出生主義の論理では、自殺は概ね肯定されない。
とはいえ、生きることがそもそも苦痛である人の自殺は、功利主義的に良しとされるべきなのではないか。そういう人が生きるという事は全体の幸福の総量は減ってしまう事と同義だ。
その人を救って幸せにできる人だけが救えば良い。
そして、この世の中にはそんなやつ、ほとんどいないのだ。
無責任に自殺を否定して、悦に入っているのが関の山。
誰でも本当の意味で誰かを救う事なんて出来ない。
本人以外は自分を救えない。
救った所でどうせいつかは、死ぬのだけど。
なんにせよ。
どうせ死ぬ。
だから、
どうせ死ぬのなら。の精神も同時に持ちたい、と思う。