今読んでる本、「ドーパミン中毒」の読書ログの続きですわよ。
苦痛が快楽を作る
苦痛と快楽はシーソーの関係にあるという本書の主張については少し前の記事に書きました。
快楽を感じることで苦痛を感じやすくなるなら、「逆はどうや?」という内容が記されてた。
これも「有り」らしい。
電気ショックなど過激な実験で示されている事らしいが
苦痛を与える行為を繰り返すと、苦痛の体感はどんどん低下していき、苦痛から得られる快楽はそのまましっかり残るんだとか。
つまり、「苦痛」はむしろラッキーなんだと考えることもできる。
本書の中に、1日中YoutubeやPodcastを聞いてる女子大生が出てくるんだけど
「あー自分やな」と思いながらその話を読んでた。
その後、この苦痛から快楽を作る話を読んで、
僕は、外を歩く時にPodcastやYoutubeを聞くのをやめた。
仕事中のラジオも減らしている。
小さい苦痛を受け入れる事は、シーソーのバランスを正常化するばかりか、その苦痛を感じること自体が快楽のスイッチにつながっていると思うと、その状態を面白いと感じるようになった。
ただ、これも結局、個人個人のバランスが大事だと思う。
まだ自分も手探り中。
苦痛への依存
苦痛で快楽が得られるわけだから、もちろん苦痛への依存についての注意も書かれてた。
まさかこの本でヴィム・ホフの氷風呂が出てくるとは思ってなかったけど、氷風呂みたいな刺激はどうやら依存とは少し距離があるみたいだった。
もちろんこれも個々人によるところなので、依存しそう+依存するとやばそうなら苦痛であると感じるならば注意した方が良よさそう。
ただ、
- エクストリームスポーツなどの強い刺激はヤベェっす
ってことらしい。
スカイダイビング経験者は無快感症になることがあるそう。
そもそもエクストリームスポーツが苦痛のカテゴリに入るんだという事に、一瞬混乱したけど、空から落ちるというのは確かに通常は「苦痛」だ。
そして、刺激が強いがゆえに、苦痛と快楽のシーソーのバランスを壊してしまうらしい。
金持ちってエクストリームスポーツとか、すごい景色の国とか行けるから余裕あってええなぁ、という感覚になりそうだけど、これを読む限りそんな良いものでもなさそうだ。
少し前に書いた 「暇が依存を作る」という事例も合わせると、働かなくていいタイプの金持ちスタイルってのは、依存リスクを高めるファクターになりそうだし。
金の有無以前の問題でもあるから、ここを区別する意味もないのだろうけど
しかし、こういった事を考えると、「金と幸福」というテーマもやはり、あまり関係がないように思えてくる。
結局人間、自分の脳内の満足不満足をどう捉えるかが幸福というものへの実感であるわけだし
快楽と苦痛のバランス、中道を行けない者は不満足なんだろう。
カントの言う通り「自制の中にこそ自由があるやで」というやつなんでしょうね。
なんでも買えたり、遊べたりするかた満足できるんじゃなくて、
真に自分にとっての知足のバランスが取れてこそ、本当に満足して生きられるんじゃないか、と。
科学信仰とまとめ
しかし、すごいパラダイムシフトが起こる本だ…。
今まで哲学で言われてた事を科学的視点で解説してるだけの本なのに、衝撃がすごい。
これも、科学信仰の国という構造の中で生きてるからなのかなぁ。
なんてことを思ったり。
現段階で面白いと思ってること
- 苦痛と快楽はシーソー関係
- 短絡的で刺激の強さは、快楽も苦痛もシーソーのバランスを乱し、依存や不満足に陥る。
- 苦痛から快楽を得る事ができる。
- 基本は「運動」とか
- 個人的には、「欲への自制(つまりは我慢)」もソレに当たるかも?と思ってる
- ドーパミン中毒状態は、自分が問題にハマっている事に気付けない
- 依存は「否認」の病
- 依存状態をリセットするには「一ヶ月くらいは断つ」方が良い。
- 依存が強い場合、最初の2週間くらいはキツイらしい
- 一度しっかり断つ事で再発した時に自分で距離を置く力がつく
- 作者の体験談から。
- 僕自身の体験談としても実感がある話。
あと50Pほど残ってるから、面白い話あったら書くかも。
しかし、読書も依存やと言われるとね。
結局どこかで何かには依存していかなければならないのかと。
バランス。
amazarashiの歌じゃないが、縋るものがないと生きられないのが人間ってことかもね。
5億年ボタンのように、なにもない空間で生きていけるようには作られてないんだから、最後はバランスって話になるんでしょうね。やっぱ。
つーか、アニメあんのこれ。
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依存については下の漫画のアル中の回が結構勉強になった。アル中回が何巻目だったかは覚えてない。
否認の病ってのもここから学んだこと。
主軸テーマは生活保護。