優越しても劣等感は無くならず 競争の中では勝っても劣等感は残る 「人間の行動は背後にある動機となった考え方を強化する」
動機としてのコンプレックスの強化
この話で思い出したのは、某インフルエンサーがよく発していた「あの頃僕をいじめていた連中より今の僕の方が圧倒的に稼いでるし、税金も収めている」という言葉。
いじめられたという劣等感は彼にとって行動のバネになったのだろうけど
その動機による行動が、考え方、つまりはいじめてきた奴らを見返すという一種の劣等感を強化してしまったのかもしれない。
競争で勝っても、救われないのだ。
先日アップした、二人の米国の著名人、ボーデインとスペードの自殺についてもこの加藤先生の話は響く。
勝っても負けても救われない。
比較によって一時的には気持ちよくなれるのかもしれないが
人を支えるのは、自分自身による自分自身の定義づけだと思う。
その定義づけの過程には、悪しき感情によって動いた過去は大きな力を持つのだろう。
また、目的を達成したあと、その動機は働かなくなってしまうのかもしれない。
金持ちになったとか、一番になったとか、あいつに勝ったとか。
でその先は。
その先、自分はどうすればいいのだろうって。
燃え尽きのような所にたどり着く可能性もある。
大切なのは日々何をするか。
アリストテレスの言葉を借りるなら、キーネイシス的な生き方ではなく、エネルゲイヤ的な生き方をすべきなのだと思う。
目的やゴールを求めて生きるのではなく
仮に何か目標があったとしても、本質的にはその日その日何をするかという事に向き合う生き方。
結局、人間にはその日、その瞬間、眼の前、今の時間しか存在しない。
過去や未来というのは存在していない。妄想の中で作り出しているだけに過ぎない。
過去を動機に使えば、その動機が強化されてしまう。
プラスの感情ならそれもありなのかもしれないが、人生塞翁が馬、プラスだと思っていたものの裏にはマイナスが隠れている事は多々ある。
例えば、メサイアコンプレックスなんて言葉があるが、人を助けるという行為も一種の自己欺瞞や承認欲求だったりする。
今日、この瞬間、自分自身と倫理観をもって向き合って発生するやりたい事と向き合うことが本来の人間的であるのだろうと思うのだけど。
これもまぁ、正直、なかなかムズカシイ。
だから、100%今を生きるなんて無理強いはせず、20%くらいは過去や未来に縛られても仕方ないと、割り切る姿勢も大事かもしれない。