グッド・プレイスというドラマがある。
もうずいぶん前に見たドラマだからうろ覚えではあるんだけど。
内容は、死後の世界の話だ。
ネタバレあるよ
人間の満足とは
仮に寿命が永遠であったとして
お金や人、あらゆるものに恵まれていたとしても
人間はいつかそれらには飽きてしまう。
享楽は人間を満たし続ける事はできない。
満足はやがて慣れて飽きてしまう。
人間の脳はそうなっている。
上記のドラマのような「死後の世界」という形而上学的な話となると、まぁ現実問題として考えるのは少し違うのだけど
そもそも形而上的な話を論じても意味がないので、現実ベースで語ることにするが…といっても
ドラマの中でも「飽き」のようなラストが描かれている。
ゴリゴリのネタバレになるが。
主人公達は元々、地獄に落とされた存在で、結果的に天国に行くことになるんだけど
ラストエピソードでは、遊ぶことに満足してしまった登場人物たちが、輪廻のような形で存在を消去する門をくぐる決断をするのだ。
これを見て、いくら物質的に恵まれていても、リセットボタンを押すくらいしか最後はやることが無くなるのだ。と僕は思った。
快楽も苦痛も放棄する
最近、LANケーブルを抜く癖をつけてからか、やたら読書がスラスラ進むので、
バカ分厚くて「読めるか!」と思って買ったまま放置してたウ・ジョーティカ・サヤドー氏の瞑想講義本を読み始めた。
理由は、
- メタ認知を高めて、俯瞰して物事を捉え、ニュートラルな心を保つ事でしか「楽」に慣れない。
と改めて思ったから。
瞑想の技法はもうすでにアホほど他の本でも読んできたので、後は実践あるのみということで
教学としてちまちま読みながら瞑想を実践する。
つまり、悲観的な雰囲気を捨ててオサレに言うなら、「可能な限り、生活をマインドフルに過ごす事にした」という話。
問題解決の限界
先日読了したこの本。
これもネタバレあるよ。
やはり、そうなるのかというオチだった。
この手の話で問題解決をするなら、「みんなちゃんとパートナーを見つけてハッピーエンド」がよくあるラノベや漫画、アニメ、映画、ドラマの流れだろう。
だが、やはりそうは問屋がおろさないのがこういった小説だ。
主人公は求めている現実を手に入れることはできなかった。
ただ、数名の独身の友達が出来た。
そして寂しさを払拭できないまま50歳を迎え「友達が心配してくれるなら生きよう」という決断をする。
物語の作りとして確かにそれは正しい(最初の場所に戻ってくるというのは代表的な作話手法)し、俗世間的な「パートナー見つけたEND」より好きだ。
だけど、「あまりにも、だな」と思った。
しかし、現実的だ。
「あまりにも」とはいえ、彼は恵まれている。独身の友達がいて、飲み歩いたりカラオケをしたり、病気になったら気遣ったりしあえる存在がいるのだから。
それでもその苦しさに共感する。
僕は人が苦手で、人間関係を作る事がうまくいかなかった人間なのだけど、それでも作ればよかったのだろうか、と存在しない過去を思う事がある。
大人になってからもいくつもチャンスはあったが、僕自身がそれをふいにしてきたのだから、「存在しない」のだ。
というかむしろ子どもの頃や大学生と社会人の時は普通に人間関係があった。
それを全部断ち切ってきたのは自分だ。
僕はこれを維持できない。
だから、これは完全に存在しないのだ。
この現実を、孤独ではない人間が解釈するのはあまりにも難しいだろうと思う。解決策は人間関係の形成であって、それを自身で断ち切る人間にどうアプローチをするのだろう。実際、自分自身でもこの仕組みがよくわからないのだから。故に孤独というのは、ややこしいと思う。
しかし、というかつまり、というか
僕は何か現実を変えても、おそらくそれをダメにする。
意図的に、というかそうする事の方が僕にとって心地よい状態であるという認識が崩れない限りは、意図的に。
つまりは一人でいたいのだ。
しかし、社会には「孤独ではダメだ」というレッテル貼りが横行している。
問題を構造的に作り上げて殴ってくるから、孤独者は迷うのだ。
だから、もうどうでも良くならなければならない。
苦痛も快楽も、過度に求めず、 ただニュートラルに受け入れるしか無い。
それが本来の真っ当な幸福であると仏教者らが説いているなら、それを受け入れるしかない。
別に、何もかも楽しむ事を放棄するわけではないのだから、これくらいがちょうどいい。
40手前で死ぬのが良い。
津村記久子の浮遊霊ブラジルの「給水塔と亀」の中に
人間が家族や子供を必要とするのは、義務がなければ人生をあまりにも長く平たく感じるからだ。その単純さにやがて耐えられなくなるからだ。
とあった。
徒然草で吉田兼好は「男は、40手前で死ぬのが良い」と説いている。
前述した「僕はこのまま~」の中に主人公の一人の女性が
女は50頃に諦められるが、男はずっと子供が作れる。けど、性的魅力は低下していくから。孤独だ。(うろ覚え)
と話していた。
男は長く生きると精神的におかしくなりガチな仕組みにでも、なっているのかもしれない。
まぁ、男の高齢出産にもリスクがあることは最近明らかになっているが、それでも生殖ができる事実が消えるわけではないから、厄介なのだろう。
話を少し戻すが、
40手前で…と言われても、死ぬのは難しいのだ。
僕は死にたがりだが死なないで生きてきたのは、死ぬのが想像以上にハードルが高い仕組みになっていたからだ。と思っている。
ではどうすれば良いのか。
幸福感じながらも、ある意味生きながらに死ぬ方法がある。
それが仏教者が説いた道だ。
結局ここに帰るのだ。
何度目かしらんが、事あるごとにココに帰って来る。
20代前半に瞑想本を読んで、その後漫画家になり、満たされずこのブログを立ち上げてからも何度もここを行き来した。
そろそろ年齢的にも二度とこの道を反れる事なく、死ぬまで思考のさまよいを捨てられる事を願って
また瞑想の日々に戻る。