エピクロスの哲学を見直してる。
不自然だろうが自然だろうが、そんなものはどうでもよくて
そもそも「必要な欲求」だけに意識を向けられれば最適解なんだろうけど
それは難しい。
とはいえ、減らす努力は必要だ。
この努力がおそらく、この世で一番効率のいい精神の安寧をもたらすための努力だと思う。
なぜ「不自然」を排除しないのか。
釈迦が中道を説いている通り、両極端は何事もよくない。
URL先には「贅沢な暮らし」は不自然な欲求であると説いているが、そもそも「贅沢」の基準は人それぞれだから。
判別が難しい。
それに先日書いた通り、そんなに厳しく生きる事は本当に自分のためになっているのかという疑問も感じてきた。
「ライオンのおやつ」で、死ぬ前にお気に入りのワンピースを買う主人公のような贅沢は、不自然だからバッサリ切れと言うのはあまりに非情じゃないだろうか。
そのくらいの贅沢を許す心は仏教哲学的にはアリなんだと思うし、ボクもそっちの方がいいと思う。
エピクロスはそういう意味ではストア哲学ではないが、ストイックすぎるようにも思う。
だから、本当に必要か不必要かくらいは、過去の哲学者の価値観ではなく、自分で決めた方がいいんじゃないかと思った。