アウトプットの方向性が、「自分」の方向性を固定する
学習はインプットとアウトプットの両方によって成り立つわけだけど
たとえば、このクソブログでお金の話しをしてるときは、インプットもお金に偏りがちというか、そもそも思考がお金に偏りがちになる。
正直よくない。
このブログは閉じよう。(何回目か)
というか、面白かったこととか、よかったこととか、そういう事をアウトプットしたい。
3GoodThingsじゃないけど、アウトプットするものはやはり自分の意識に大きな影響を与える。
SNSで政治がクソいみたいな話をしていて、しかもそれが伸びたりすると、その人は政治がクソいという発言をするためのインプットをし始める。
俺はそんな人生御免被りである。
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ってことでちょっと前に見た映画。
終盤は「そんなことありえんてぃやろ」と思ったけど、面白かった。
歴史はほとんど無知なので、あれだけど。
これを見る前にゆっくり解説で第二次世界大戦の総ざらい動画を見ていたので
この映画がダンケルクの戦いの政治サイドの話だという事はわかった。
こうやって知識は増えていくんだなぁという体験を久々にした気がする。
ただ、知人が戦争ネタ好きーなのでその流れで見てみたけど、ボクは戦争ネタはあまり得意じゃない。
でも面白くないというほど面白くなくもないんだなと思えた。
先日、クリストファー・ノーランの映画を見たので、クリストファー・ノーランのダンケルクも見てみたいなと思ったり。