- 死の恐怖を克服するには?
- 色々ある。
- 「死に触れる」というのはいい策になるかも。
- 年齢を重ねた人は死を現実的なものと捉え、恐怖心が少なくなっていくのだというデータがあるらしい。
- これは年齢を重ねた人だけではなく、葬儀屋や医者のメンタルにも現れる事だそう。
- 故に、ただ年齢を重ねるというより、周りの人の死に触れる経験を積んでいるからではないかという仮説があるらしい。
- 自分は人との関わりが薄いので死を経験する機会が少ない方だと思う。
だから経験を増やしたい。
死に触れる方法
- 死にまつわる小説や漫画、映画などを見る。
- 闘病記や終末医療などについて読む。
- 葬儀屋に就職する。
映画や小説が取り組みやすいかな。
- 思えば、死の恐怖というより、病気の恐怖が強いので、
- 病気に関する作品を結構避けてる自覚はある。
- 恐怖症を克服するには、系統的脱感作法(少しずつ慣れる)が有効であることは医学的にコンセンサスを得てるらしいので
- ここから取り組もう。
- ぼんやりとした不安に関しては利他の実践で軽減されたけど、病気の不安は恐怖症の類なので未だ残っているから、取り組みたい。
以前も書いた気がするけど。
恐怖症克服には「慣れる」しかないから、疑似体験でもいいから触れる機会を増やすしか無いよねぇという話し。
死の恐怖を克服する思考等についてはなんかすげぇ前に書いた気がするけど覚えてない。
というかあんま役に立ってない。
僕の場合、死よりも病気、闘病が怖いので、死へのスタンスを学んでも恐怖心から抜け出せなかったのかもしれない。
エピクロスや釈迦は死に関して良いこと言うてると思うけど、そもそも死恐怖症じゃなくて、病気恐怖症だったのなら死について学んでも効かないのは納得できる。
病気恐怖症も突き詰めれば、自分の体や意識に対する「無常」を理解できていないのだろうなぁと思う。
体の一部がなくなったり、機能しなくなる事に漠然とした不安がある。
いつかは朽ちると理屈を理解できていても納得するのは難しい。