「漠然とした精神的不安定」はどう解決すればいいのか。
個人的な結論としては、結局思想なんだと思う。
科学的にどうとかそういう事を抜きにした思想。
仏教+ヨガの哲学
最近観てる仏教+ヨガ系Youtubeでよく語られているのは
結局問題はすべて「エゴ」にある。って話。
エゴイスティックさが、不平不満、満たされない苦しさ、嫉妬等の感覚を作り出す。
だから、エゴを滅するしか無い。という話。
この手の話は、鈴木さんの「無」が科学的アプローチを基盤にしてる書籍だけど、むしろ科学を通す事が面倒くさいと感じるようになってきた。
真実の是非ではなく、自分が畏敬を感じるかどうかの方が重要で
仏教で言う慈悲の瞑想、ヨガでいうトンレンが最適な瞑想法になると思う。
これはエゴ的に自分の利益を求めるのではなく、他人の苦痛を全部背負うという瞑想法で、エゴの真逆な思考を作るトレーニング。
結局はエゴが問題なんだからこれを真逆アプローチで壊していくしかないよねっていうメソッドになる。
漠然とした不安の原因追求を細かくやったところで意味がなくて、むしろそれはドツボにハマる。
日本には思想がない。
いや、それどころか、多くの場合、エゴに溺れる時には縁起性に対する感覚が欠けている。
「俺はこんなに苦しいのにあいつは」となるのは、「俺は」が優先されるべきだというエゴイズムだ。
「俺なんて」となるのも悲観的なエゴイズムだ。
これをやめない限り、生きることはずっと辛い。
金を稼いだり、きれいな嫁さんができたり、可愛い娘や息子ができたり、ペットに囲まれたり、好きな趣味の車やら時計やらを買えたところで、エゴ発端の欲は永遠に消えない。
エゴを殺すしかない。
しかし同時に、
とも言われているわけで
崇拝や信仰に対してもすがるエゴを殺しきってこそ、本当に自由になれるんだとしたら
全くインド哲学の修行ってやつは、常人の歩む道ではないなと思う。
でも釈迦が説いてるとおり、そんな完全に歩みきらなくてもいい、自殺を考えるほど悩んでるなら、一歩考えない側に足を踏み出せるくらいの力を作るために、エゴを大人しくさせられればそれでいい。
結局生きるには、極端になりきらずとも、生きていられればいいんだから、そのくらいで十分。