釈迦らが説いてる通り、やっぱエゴ、利己的な欲がしんどさの原因なんだと思う。
金銭欲や承認欲はその代表だけど、
欲ってのは一概に言葉に出来ないものだと思う。
ただ「お金が欲しい」といってもその先に、欲しいものがあったり、集団の中で優越感に浸りたいという承認欲が含まれてたりもするし、寄付をしたいというところに繋がってる事もあれば、ただ数字を増やしたい欲もあったりする。
しかし、その良し悪しは関係なくて「今無いものが欲しい(まだ足りない)」と思っている時点で、苦しさを作る。
何かをしなければという衝動に駆られる。
ショーペンハウアーの言う、何かを目指している時は現在との乖離に苦しんでいる状態になる。
とはいえ、何も目指さなければ、彼の言う通り「暇」で苦しむ。
中庸ってのは本当に難しい。
よく、論説が変わる事を軸がないなどと批判されている人がいるけど、人間そんな簡単に片方に振り切れるのも難しい話なのかもしれない。
お金や承認が欲しい欲しいをずっと続けることも
どっちもいらないを続ける事も
どっちもほどほどに、を続ける事も
全部難しい。
人間は自分が思うように自分をコントロールし続ける事が本当に難しい生き物なんだろうと思う。
だからマルクス・アウレリウスは毎日毎日、日記を通して自制し瞑想し続けたのだろうと思う。
簡単な事ではないのだろう。
日記を書いていると、自分が今やっている事や、方向性が自分の望んでいるものであるかと俯瞰して考えることができる。
これを続けていても、人間はブレる。
ブレる事を悪とするとまた苦しむ。
ブレたくないという欲が働いているからだ。
そもそもが、こういった欠陥だらけのモノなのだと、受け入れなければならない。
だから生きる事は苦しいのだと。
その上で、できるだけ程々に楽に生きられるように、自分の歩幅で可能な限り 調整し続けていきたい。