僕は馬鹿舌なので、割となんでも旨いと感じる。
それはラッキーな事なんだという事に最近気付かされて
ネット断食を以て、この「閾値を下げる」って事を実践し続けるのは清貧的思想の根幹なんだからもっとやっていこうと思わされたという話。
依存、刺激メディアから離れるのは「最高に脳の掃除」になる。
デジタルデトックスで幸福の閾値を下げる
一度上がった幸福の閾値を下げるのって難しいんだけど
デジタルデトックスにおいては、単純でやる価値があるものだと思った。
最近、飯がうまく感じる。
ドーパミンのセットポイントがリセットされてるからなんじゃないかと思ってる。
というか、飯だけじゃなく、何かをしたという感覚による満足感が大きくなった。
仕事のノルマ、掃除をしたり、絵の練習や筋トレ、読書。
なんでもいいけど「やった感」をすごく感じる。
単純に、ネットをしてた時間を有意義に使えてるからなのか、前述した通りドーパミンのセットポイントが修正されたからなのかはわからないけど。
依存から離れると、以外にも「生きてるのも、思ってたほど悪くはないな」と思うようになった。
SNSスクロールと無限ネットサーフィンをやめただけ
やめたことは、SNSのスクロールと無限ネットサーフィン。
どうやめたかって理屈は以前も書いたけど、「求めてる事そのものが、バイアスにハマってるって事なんだ」と突然納得したからやめられただけ。
それでも、うっかりニュースサイトなんか開くと10分くらいだらだら見ちゃう事があるけど、やっぱり満足感がないという事実だけが残るため、少しずつそういった無意識的な行動も減っている。
「もっと」がこんな所にもあったというのは、うっすら自覚はしていたけど、金や承認に比べりゃ気にするほどえもないだろうくらいのノリだったけど
この「もっと」を捨てるってのは清貧的な生き方において非常に重要で、その効果の大きさを身をもって知る事もできたので
今回のネット断食はよかったと思う。
今後もこのペースで生きたい。
かなり、時間があまる
もっと時間が欲しいと思ってたのに、謎の副業やめたりした上にネットもやめた事で思ってたより読書が捗る。
筋トレものんびりできるし。
食後、日が落ちてから散歩したりも出来る。
で、暇はやべぇものだってのは本当にそう思ってたんだけど。
やることやった後の暇ってのは思ってたより悪くない。
別に何をしても罪悪感は無いし。
暇をつぶしたいならKindle読めばいいし、別に多少ならゲームしてもいいわけで。
宣伝告知も兼ねて落書きしたりもできるし。
瞑想や深呼吸等のリラクゼーションに使っても良い。
ながらじゃなく、何もせずにラジオ聞いててもいいし。
依存メディアを使わないと暇が潰せなくなってた以前の方がおかしかったんだろうと思う。
なんであんなに渇望感があったんだろうか。
英語も多分後押ししてる。
英語学習もたぶんこの現象を後押ししてくれてると思う。
語彙が増えるとメンタル的に強くなるってのが、体感できる程は語彙は増えてないと思うけど
読書のメンタルへのメリットは間違いなく受け取ってるし。
Ankiで仏教やストア哲学の語録をいくつか入れてるので、定期的に振り返る事が出来てる。
語学学習自体のメリットをしっかり受け取れるくらいの英語力がつけば、もっと多角的に落ち着いて物事捉えたりできるようになるんだろうか。
語彙が多いことがメンタルを強くするってのは事実なのか、眉唾なのかわからないからさほど期待はしてないけど
そうなったらラッキーだなぁとは思う。
執筆2023-06-06