ビジネス系の人たちの言う「無駄」は本来の無駄ではないと思う。
一昔前は「本を読むならノンフィクション」みたいな話だったけど
どうやら最近は、「フィクションって言語能力や共感力あがるから、結果的に成功しやすくなるんじゃね?」みたいな話も浮上してきてる。
無駄か無駄ではないかを、社会的な利益に合わせて考えていると、本来手に入ったであろう能力や才能、喜びや感動を得る機会を失ってしまいかねない。
無駄は自分で定義しよう。
無駄を定義する
無駄を定義するためには、まず自分が何をしたいのかを割り出さなければならない。
行動活性化療法がおすすめ。
とはいえ本まで読むのは大変だろうから簡易的な手法を一つ
- 一日に行った行動を1時間単位でざっくり書き出して *「楽しかった点数」と「大事点数」を10点満点でつける。
楽しかったかどうかはそのまま。
大事かどうかは「やるべきこと」とかそういう感じ。仕事とか、雑務とかは楽しくなくても大事だと判断されると思う。
メモしたものを参考に、
どちらも10点に近い行動を増やし、どちらも0点に近い行動を減らしていくと、自分の中の無駄が排除されて楽しいことが増える。
うつ病治療にも効果的だとされてる認知行動療法の一種だからやって損になるって事はないと思う。
僕の場合
僕の場合だと、ネトサは基本0点に近い。
仕事は大事だから点は高いが、仕事原稿は楽しさは6点くらい。
ラクガキやSkebはもっと楽しさが高いが大事さは少し低くなる、お金も入るからさほど大事でなくは無い。
筋トレ、運動、瞑想、深呼吸、筆記開示あたりは、まぁまぁ楽しいし大事さも高い。
ブログは楽しいが大事さはほぼ0。
みたいな風につけていくと、自分が何をしたいと思っているのか、何をしたくないと思っているのかがわかってくる。
最終的には、大事なことも楽しいことに塗り替えられるような方法を見つけていけば
楽しい+大事が高いもので生活を埋められるという話。
まぁこれは簡単な事ではないのだけど、半数以上、楽しいことが溢れてるといいよなーと思う。
無駄
無駄は、自分にとっての基準であるべきだと思う。
社会的成功やらお金やらなんてのは、所詮満たした所で本質的な成功とは関係がない。
小説「モモ」には、お金や成功に縛られたあげく、結果的に自分の意思まで縛られてしまう人たちが出てくる。
そうならないためのセミリタイア思考であり、そうならないための節約思考、清貧思考であるべきだと僕は思う。
だから節約や清貧を楽しめないならセミリタイアなんて生き方はトレースすべきではないと思う。決して万人向けじゃない。
僕は楽しめてるからまぁよしとしてるけども。それでも100点とは言い難い。
逃げ回った結果見つけた唯一のなんとか生きる道だっただけだ。
漫画描きもそう。
社会でうまく生きていけなかった結果、なんとかたどり着いた結果がここなのであって、決して最良だと思ってるわけではない。
常に調整して柔軟であらなければ、他人が作った思想に縛られていたのでは、
それこそ不自由の極みだと思う。