自由意志は無い。偽善も自己満足であるようだが所詮反応してるだけ
マークトゥエインは人間を機械であると説き
慈善活動も自己の精神的満足を満たす目的に沿った行動であると説いた。
その冷徹であるとも取れる言葉は僕は真実だと思ってる。
自由意志はない。
与えられた環境の中での選択も、その過去の選択の結果生み出されたもので、最初の選択は環境によるものだから結局は環境に反応しているだけ。
自由意志など無いのだ。
それでも利他的に生きる事は偽善であろうがなんだろうが、利己的に満足を得るのに十分な行為であるし
功利主義的にも人類の幸福貢献をしていると思う。
現場で直接に利他を実践するとなると大変な事も沢山あるだろうけど
利己的であるより、遥かに精神的に満たされるだろう。
自分の中に生きがいを求め、満たし続けるのは難しい。
生きがいを自分の中に求めるのも一興だと思う。
僕は漫画描きなので、一応芸術の端くれで、こういう芸術活動というのは他者貢献というより自己の衝動を満たす行為だ。
それ故にかアーティストには自殺者もそれなりに多い。
自己を満たす行為では本質的には自己を満たせない。
他人を満たすものを作れているかどうかは「人気」で証明される。
しかし、人気もお金と同じ。
結局は「ずっと足りないまま」だ。
これだけあれば十分だと言えるラインはない。
逆に僕のような清貧思考の人間だと「十分だ」と満足してしまえるわけだけど
仕事として行っている以上意欲が低下してしまう。
ならば、仕事をすることを通して直接的な利他を実践してみてはどうだろうと思った。
いろんなドキュメンタリーを見た
ホームレス、障がい者、がん、ヤングケアラー、
いろんなドキュメンタリーを見た。
精神が病んでくると「自分は不幸だ」と思ってしまう。
そういった時は視野が狭くなって、自分の内側にばかりに思考がいってしまう。
しかしどうだろうか。
世の中、本当に大変な状態に置かれてる人は山ほどいる。
生きがいが無いなら、助けることを生きがいにしてみることはできるのではないだろうか。
自分の生きがいのために利用するようで申し訳ないが、この利用はWin-Winだ。
メサイアコンプレックスに陥っているわけではなく、冷静に俯瞰して考えられてると思う。
ただやる気は無いし金も使わないが多少なら金を稼げる泥人間が、本当に生きたい人、なんとかしたい人、大変な人にちょっと寄付するだけの話。
意味のない、生産性のない漫画を描いている人間が、そういう人の役に立つならと、自分のよくよく考えれば無意味なアート活動に詭弁ではあるが理由を設けて見るだけの話。
多かれ少なかれ、長生きをする自信はないし
生きた意味があると思いたいなら、自分は、
自分の事を知ってもらうとか誰かの心にのこるなんてつまらない事より
明日食うに困ってる人に、おにぎり一個食わせてやりたい。
そんな事思ったり思わなかったり。
自分は自分のために金を稼ぐのにあまり向いてなかったのかもしれない。使わないんだから当たり前っちゃ当たり前だけど。
サバ缶食ってれば満足でいられる。高いサバ缶を買ったところでたかが知れてるし。
良くも悪くも、金を使わないスキルが育ちすぎた。
後は哲学と心理学をやりすぎて、利己的な行動が非利己的な結果を産む事の虚しさに絶望してしまったから、利己的にお金を使えなくなったのかもしれない。
良くも悪くも、不器用だから生きる意味なんてものを探して生きなければいけない。
本当に面倒な事になった。