FIRE界隈ではよく出てくる
「生活費が●●円なら、資産が●●万円あれば資産収入だけで生きていけます。」
僕もこういう考えで生きていたけど、
よく考えると、人生というのは、イレギュラーにどう対応するかという事と同義、だと言っても過言ではないのではないか。
闘病Twitter
最近、闘病Twitterを読んでいた。
ゲームクリエイターの方が30代前半で希少がんになって東京、四国を行き来しつつ入院、手術を行いながらゲームを作っていた。
お金の話題もちらっと出てくる。
病気になったら予定していた将来より短くなるかもしれない。
だからそれも加味すれば上の試算は問題ないのだろうとは思う。
しかし、そういう事なのだろうか。
実際、お金が減っていく事へのストレスもあるだろうし。
何より、体を悪くした事に対して、上のような安全思想に毒されて、未来が約束されたと勘違いしてしまう事は、逆効果になるのではないだろうか。
適者生存
一時期前にYahoo知恵袋に、「この世は弱肉強食なのに社会で弱者を救うのはおかしくないですか?」といった質問が投稿されて
「適者生存」が話題になった事があった。
強弱ではなく、適応するものが生き延びているという話。
「生き延びる」の定義にもよるけど、最後まで生きたと言い張れる人生を送りたいなら
過去のデータによる試算で未来への対応力を失うより
行き当たりばったりでも常に変化、適応していく事の方が圧倒的に重要で
それこそが 仮初の経済力なんて不要な、自由と呼べるものなのではないかと思ったりした。
僕は不安症だ
僕は不安症だ。
生きるのも死ぬのも面倒だと思うのに、病気がコワイ。
お金の問題も、自分の自由が制限されることもコワイ。
僕に必要なのは、この問題を解決するためのお金ではなく
コワイという意識に適応することなのだろうと思う。