Twitter中毒を止めるためにブロックかけてて、ふと我に返る。
あとは死ぬだけ。
虚無感。
忙しいの反対は暇だと言うけど、
暇というより空虚な感覚。
求不得苦(ぐふとくく)
「求不得苦」…これは仏教語で得ようとしてるものが得られない苦しみのことだけど
そもそもこの世に得なければならないものなんてそもそも、生きるためのあれこれ以外は、無い。
お金もその手段でしかなく、必要以上には不要なものだ。
ただ人の欲や不安がそれを過剰にもとめているだけ。
すると
自分は一体なにがしたくて生きているのかと、空虚な気分になってくる。
生殖活動という本質
サルトルは、「実存は本質に先立つ」と説いた。
もとより人間にはその本質と呼べる役割がない。
文化がややこしくなり、多様になってきている。
つまりは生殖活動だけしていればOKだとは思えないのだろう。
もとより、僕はペシミストであり人生は苦であると考えているので反出生主義的な思想を持っている。
もちろん子供は可愛いし他人が作る事に対して思想を押し付けたりはしない、思想の押し付けはもっとも暴力的であると感じるからそれはしないが
自分で子供を作ろうとは思わない。
ならば動物としての本質は否定されている。
虚構で塗りつぶさなければならないが、その虚構もよく考えてみると不要であるというところに行き着かざるを得ない。
これはニヒリズムなのか、それとも、もう少し違う何かなのかはわからないけど
つまるところ、「あとは死ぬだけ」だ。
あとは死ぬだけならせめて、多少楽しくのらりくらりと生きたい
しかし、
それで終わればペシミストというより、ニヒリズムのネガティビストでしかない
できるだけ楽しいことを適当にやって
死ぬまで生きたい
あとは死ぬだけ
何をしていようが死ぬ
無用な事に時間や体力を使うより
少しでも楽しめる事を
効率も能率も無視して、のらりくらりと生きていたい。