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エゴを捨てるタスク

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ダライ・ラマやエーリッヒ・フロムが言う通り「あたえる人が受け取れる人」なのだから

エゴと我欲を捨てるのが楽になるための一番の近道だと思うので

なんとかしようと思う。

出来るタスクとしては仏教の四無量心と菩提心のワーク的なのが参考になりそうだった。

  • どんな他人も自分の親友のように扱う

この辺。

思想を詳しく書かず、まったく掘り下げないとこれだけではなんのこっちゃになると思うけど。

自己とはなにかみたいな話を書いててもキリがなさそう。

時間的、空間的自己の話は今の自分には文章にするのが難しいし、物理学的に解釈したとしても量子力学の範囲だからスピっぽくなるし。

なので、処世術として「他人を親友のように扱う」だけ覚えとけば良いんじゃなかろうかと思う。

全員親友なら、親友の成功は喜べるし、親友ならつまらん事を言ってきても許せる。

仏教では「母親のように」としてるけど、これは現代では合わないとヨガの先生がYoutubeでも話してたし、僕もそう思う。

親友くらいがちょうどいい。

突き詰めれば、「他人も自分」になるんだけどこれは空間的自己の話になるので深すぎるし、それこそ出家僧でも実践するのは難しそうな話。

盗人にも五分の理を

盗人にも三分の理 と言うけど、デール・カーネギーの著書には「五分の理を」となってこれが登場する。

どんな悪人も自分の行動は正当なものであると思って行動している。

もちろんその後反省する事はあっても、行動を起こすという事はその行動に合理性があると判断しているという事

たとえ、他人を不快にしている人であっても、その瞬間は合理的であると判断して行っている。

戦争なんかはその最たるものだと思うが、自分を悪人だと思って戦いを挑んでる人はいない。プーチンも自分の理屈の上で正義を立ててウクライナを侵略している。

これを是とせずとも、その理屈を理解するくらいの事は出来る。

理解出来ないと突っぱねて疲れるのは、誰でもない。自分だ。

疲れて何かが変わるなら存分につかれればいいし、苦しめばいいけど、そうはならない。

合理的な判断と行動を繰り返すためには、精神的な余裕が必要だ。

余裕がなくなれば、それ以外への思考リソースや行動リソースが削れてさらに余裕がなくなる。

他人を親友のように理解するように努める事ができれば、こういった苦しみも多少は減るだろうし

そうすれば自分が出来る事に時間を割ける。

少し話がずれてきた。

親友に嫉妬はしない

半端な親友なら知らないが。

親友の成功なら喜べるものだろう。

他人を親友のように扱えば、嫉妬する心も減らせる。

解釈の仕方は人それぞれ色々あるだろうけど

「他人を親友のように扱う」が実践できれば、嫉妬心はかなり小さくできるはず。

自分ばかり観ているから、持っていないものを持っているものを羨んでしまう。

自分が持っていないものを得た人に「おめでとう」と心から言えるようになれば

苦しさは減るのだろう。

ダライ・ラマの言う「真のエゴイストは利他の実践をする」だ。

世間的な意味でのエゴイストは自分の利益ばかり求めて孤立する道を歩んでいる。真逆だ。

if-then プランニング

心理学の世界でここ数年めっちゃ使えるやん となってるテクニック

  • ~のなら(時)、~する

という文法でタスクを考えておくと習慣化しやすいってツール。

これを使って

  • 嫉妬心が湧いたら相手を親友だと思う

これでいいんじゃなかろうか。

本当は自分だと思うのが最強なんだけど、量子論の知識がいる上に

なんか量子論はスピの人が変な理解で扱ってて誤解されてるのでスルーする。

詳しく知りたい人は 熱力学の散逸構造とか、原子の重さって引く力と押す力がほとんどだって話とか、原子と原子ってくっついてるんじゃなくてめちゃくそ空いてるんやで、とか、人間の体って結構な頻度で物質入れ替わってるんやでとか

その辺を物理学の方を調べてみるとなんとなく納得いくかも。

でもこれを現実に実践するのは、やや現実離れしてる思想になってしまいそうだから、

親友くらいでちょうどいい気がする。

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